2013年8月25日日曜日

第2回 公園占拠48時間


前回記事:第1回 オキュパイの現場 へはこちらからどうぞ。


A: 前回以降、ジローさんとスカイプで色々と話してきましたが。

J: はい。

A: それこそ話がカオス&深いというか、様々な話題が登場しすぎて、第2回にどう進むべきか悩んじゃったんですが、まずはオキュパイ初期の現場の様子を聞いていこうと思います。

J: 了解です。熱狂の初日から、そろそろ寝ようぜ、って言い始める3日目まであたりについて話しましょうか。初期と中期、後期ではだいぶ雰囲気も違うものになっていきますし。

A: 本当に寝なかったんですか。

J: もうお祭り感覚でね、「新しい世界を作るんだ!」ってハイになってるわけですよ。寄付の物品や食料はばんばん届くし、公園をテントがどんどん埋めていってね。開始後48時間くらいは、そんなに寝てない人が多いですよね。
バーンアウトが心配になった私は3日目過ぎたあたりから、「食べてる?」「寝てる?」っていう声かけをするようにしました。

A: うーん、声かけするほどとは。では、その熱気の中、何が起こったか聞かせてください。

J: はい。10月6日の1万人のデモ(*1)の最終地点がポートランド市庁舎前の公園で、そこに到着直後から、キャンプの設営が開始されました。

A: 占拠開始!ですね。

J: テント設営とともに、ニューヨークのOccupy Wall Streetにインスパイアされた各人が思い思いに活動を始めました。
まずは、コアとなるインフォメーションのテントができました。ここでは寄付も受け付けていました。

そして、フードのブース。大きなキャンピング・キッチンみたいなもので、洗い場もちゃんとありました。
材料に加えて鍋やコンロもどんどん届いたり、持って来たりで。
始めの3日間は24時間態勢で作り続けていましたが、さすがに3日目ぐらいからは1日3食にしよう、とか、夜は休もうとか言うようになりました。

A: 24時間態勢!一体、何人分くらい作っていたんですか?

J: うーん、ざっくり言うと数百食/回くらいかな。一日単位だと1000食は作ってましたね。ちゃんと食料倉庫もあって、食事の合間のスナックも用意されていました。

A: もうそれ聞いただけで、どんだけのお祭りかって思っちゃいますけど。どういう人がそこで働いていたんでしょう?

J: ずっと鍋の前に張り付いているコアなメンバー(*2)もいれば、フラッと来て手伝えることをする人まで、あらゆるレベルでの参加があったと思います。

A: そこはオキュパイな参加の仕方ですね。衛生面は大丈夫でした?

J: はい。衛生手袋をしたり、努力してそれなりに保っていましたね。

あと、初日にできたものといえば、「持っていってくださいテント」。アメリカだと必要なくなった服の寄付を集めているセンターが街中にあるじゃないですか。それを持って来て、「靴下濡れていたら、ここから乾いた靴下持って行ってね」とか、ちょっと匂う人がいたら新しい服を配給したり、そういう事していましたね。

まあ、そういう風にお祭り感覚で、レインボーギャザリングやオレゴンカントリーフェア、バーニングマン(*3)を全部ひっくるめた感じでしたよ。


A: 実際、そういうコミュニティ系フェスティバルで養って来た技術とかツールも大活躍ですよね。そういった事に慣れてるように聞こえます。
ジローさんが参加していたセキュリティ・チームはどうでした?

J: 私がセキュリティ・チームと行動を共にするようになったのは4日目以降なので初日はどうだったかわからないです。
ファシリテーション・チームは1日目からありましたよ。コアなメンバーが3、4人に、プラス5人くらいが関わっていたかな。

A: なるほど。ファシリテートする事が初日からあったんですね。

J: はい。そこらじゅうで。また、初期は1日に10個ほど、いろいろな種類のミーティングがライブラリーと呼ばれる場所で行われていました。公園内を「~の話し合いしますよー」と言って回ったり、看板立てたりして周知して。

A: ライブラリーってことは図書館?それがテント内にあったの?

J: はい。初日私はAちゃんに出会ったんですけど、彼女は「私、ライブラリー作る!」って言い出して、その日のうちに作っちゃったんですね。板とか椅子とか組み合わせて。
本もどんどん届いたし、ミーテイングスペースも2つほど作って。

A: 本格的!なんか村みたい。運動初日に図書館、というのは重要な気がしています。なんというか、知の集積がネットじゃなくてその場にあるのが。やはりオキュパイは、「コミュニティビルディング」っていうところがキーなのかしら。
ジローさんは何か参加してました?

J: まずですね、初日の深夜1時くらいかな。ポートランド大学の経済学の教授のティーチ・イン(勉強会)に参加しました。参加者は15人くらい。

A: それは何についての勉強会ですか?

J: 「経済的な視点から見たOccupy Wall Streetの背景」です。デリバティブとかフォークロージャーとか、債券評価会社とか。(*4)
オキュパイでは、政治的な運動だけじゃなくて、知的な勉強会も行われていた、というのは、強調したいと思います。

A: しかも初日から、というのはポイントですね。

J: はい。あと、2日目には、メディア・リテラシーの勉強会もしましたね。これって非常に重要というか、欠かせないと思うんですよ。例えば、メディアの写真やビデオにどうやって写るかって、大きな力になるんですね。
3日目以降もいろいろと。ファシリテーターとしても参加しましたよ。

A: 細かく聞くだけの紙面は今回はないんですが、でも、メディア・リテラシーについては、重要なのでまた次回以降、きちんと聞こうと思います。
あと、誰が出入りしてたか、っていう所で、メディアや警察はどうしていました?

J: 警察は公園の外から結構な数が見守ってましたね。オキュパイ中盤には2人くらいしか見かけない時もあったけど、やはり開始以降しばらくは公園の中もそれなりに歩いていました。オキュパイ側も警察側も初めての事態に慣れない感じがありましたね。普段の警察の業務とは全然違いますしね。

A: 彼らは何もしなかったんですか?

J: (プロテストとしての/政治的な)「表現の自由を守る」のも公務員(警察)の義務なのでね、何もしませんでした。翌日以降、オキュパイ側は市長側と公園に居続けるための交渉に入り、結果としては1ヶ月以上続くわけですが。

メディアは、初日から3日くらいは、毎日3、4回は来て現場をリポートし続けてました。


A: マスコミから地元紙まで?街の話題がオキュパイ一色、という感じでしょうか。好意的な扱いでしたか?

J: そうですね。結構ニュースになってたと思います。もちろん好意的かどうかはメディアによりけりです。
報道を見て現場に来た市民も大量にいます。

A: オキュパイしに?

J: そういう人たちもかなりいたし、ただ見に来る人も。
あとは、寄付に来てくれる人達。例えば、食関係、レストランやカフェやスーパーの人たちは、営業後にまだ食べれる残った食料を食材やお弁当にして持って来てくれました。
また、当初から、必要なモノは、ツイッターやウェブサイトで発信し続けていましたね。まあ、実際にそれが届くかはその時々って感じで。

A: 実際にオキュパイしてなくても、それぞれのやり方で参加していたんですね。

J: はい。これはかなりの人数ですよね。
様々なレベルで、自分にできることでサポートしたい!という気持ちが強い人が多かった
実は長期的には、テントで寝泊まりしてない人の方が若干、貢献が大きかったんじゃないかな、と思います。というのも、テント生活は疲れちゃうという事情もあり。

こうした市民のサポートは、最後、オキュパイ運動がメディアにネガティブキャンペーン張られるまで続きました。

A: むむ、ネガティブキャンペーンとは気になる話ですね。

J: ホームレス、政治的に正しく言うとハウスレス、それから路上に近い人もそれなりにいましたし、ネガティブな報道が中盤以降だんだんに増えていったんです。
例えば、オキュパイ周辺の犯罪率が上がった、という警察の発表とかね。
ただ、それに対して、オキュパイ側は彼らが元々いた橋の下周辺の犯罪率は下がってる、とか、街全体の犯罪率は下がってる、と反論するわけですが。

A: オキュパイでホームレスの人の犯罪の問題や安全性の低下、というのは、よく聞く話ですよね。まあ、それだけの人がキャンピングしてたら、色々問題も出てきますよね。Occupy Wall Streetの記事でも、近隣住民がはじめはサポートしていたものの、路上に排便(!)排尿、もうたまらない!って怒るシーンが出てきて、マナーも徹底はできないよなーって思いました。

J: はい。私自身の感覚としても、現場に出入りし続けて行って、安全に対する感覚には変化がありまして。例えばホームレスの人へのサポートや問題も1つの大きなテーマですよね。これはまた話したいと思いますが。

A: そうですね。また次回以降、お願いします。
最後に、初日といえば、オキュパイ運動の要であるジェネラル・アッセンブリー(General Assembly 、以下GA)は、かなり盛り上がったと思うんですが。

J: はい。盛り上がってましたよー。

A: GAはニューヨークのOccupy Wall Streetから持ってきたアイデアですよね。でも集まりの際、リーダー的な存在の人はいたんですか。

J: いや、リーダーということはないです。「たくさんのリーダーがいた」という言い方もできるでしょうか。オキュパイでは、「わたしがやるー!」で全ての物事がスタートしますから。GAのファシリテートもそんな感じですね。
準備会をやってきていたので、そのコアメンバーが、というところはありますが。これも移り変わっていって。

A: なるほど。そうですよね。オキュパイはフラットな運動なので、リーダー、じゃないよね。この話はかなりコアになっていく気がしてきましたが、もうだいぶ話したし、GAについては、次回のテーマにしたいと思います。

J: そうですね。時間軸で言うと、GAの移り変わりがオキュパイ=公園占拠の流れの変化と重なるわけで、この辺りはきちんと話したいですね。

A: 次回以降もよろしくお願いします。ありがとうございました。


注、および、ハミダシつぶやき

(*1)1万人も参加して、なんと逮捕者が1人もでなかった!そうです。そのデモ技術など気になる所ではありますが、このデモについては、また回を設けたいと思います。

(*2)キッチンで主に活躍していたのはfood not bombのグループとのこと。Food Not Bombは80年代に反核運動の1つとして始まった食の草の根の運動で、今では全米及び世界中でグループがあります。現代社会の問題に対し、暴力ではなく食で対抗しようという発想が名前の由来。形が悪い、賞味期限が近い、等の理由でスーパーに出せない食材を使ったヴェジタリアン料理を公園で振る舞う活動をしており、ポートランドFood Not Bomb のミッションには「ハイエラルキーや暴力を除外し、共に創造的に働くことで、より強く健康的なコミュニティを打ち立て、地球上の全ての人と分かち合う」とあります。

(*3)これらの野外フェスには、カウンターカルチャーから出てきた、商業主義を排し、自然の中で環境に配慮した集団生活を送りオルタナティブな生き方を模索、医療などのインフラを含めたコミュニティ運営を意識的にしている、といった共通点があります。以下、簡単に説明をば。

*オレゴンカントリーフェア Oregon Country Fair:1969年にオレゴン・ユージーンで子供のオルタナティブスクールの資金集めのためにクラフトフェアを開いて以来毎年続く、家族向けの野外フェス。当時のヒッピーカルチャーともつながりが深い。
*レインボーギャザリング Rainbow Gathering:1971年にコロラドでの集団キャンプから始まった運動。今では毎年世界レベル、アメリカ各地で数万人規模の集まりとなっているが、コミュニティイベントとして小規模なものも各地で行われている。ネイティブアメリカンの思想を取り入れ、平和の分かち合い、自然環境との融和などを挙げており、コミュニティ運営もそれに沿って設計されている。
*バーニングマン Burning Man:1981年以来毎年カリフォルニアで行われる大規模な集まりであり、外界と遮断された塩類平原の真ん中で参加者一人一人の自立と自己責任のもと共同生活を1週間続ける「コミュニティ実験」。ちょうどこの回がアップされる8月最終週に開催している。過酷な環境下において生活するためのインフラから放送局まで、全てがボランティアで作り上げられており、一週間だけ砂漠に街ができるが、開催後は痕跡を残さない努力が行われている。アーティストの参加が多く、各自持ち寄ったアート・インスタレーションやパフォーマンスを繰り広げることでも知られる。私の周りでも、インタラクティブアート作品をトラックに乗せてNYから向かったダンサーや、SFのヨガコミュニティの人、とにかく楽しいことがしたい若者、なんかが向かっています。

(*4)規制緩和により行き過ぎた金融資本主義は、2008年のリーマン・ショックをきっかけにクラッシュ。この金融危機以降、アメリカでは沢山の人が職を失い、家を失ってきました。人々の暮らしとかけ離れた所でリスクの高い金融商品(デリバティブなど)が売買される事から生まれる超富裕層と、マネーゲームによる不況を被り、失職した人たち(主に若者)、不公平なシステム(フォークロージャー、いわゆる差し押さえ)により家を失った人たちや、そうでなくても教育費や医療費等の負担増に苦しむ中間層の間の溝は深まるばかりで、そういった状況が「ウオール街を占拠せよ=Occupy Wall Street」の背景となっています。ちなみに富裕層への税率の低さや富の集中は、80年代から進んでいました。









2013年8月16日金曜日

第1回 オキュパイの現場

Aya: ジローさんはいつからオキュパイに関わっているのですか?始めから?

Jiro: そうですね。Occupy Wall Streetがニューヨークで始まったのが2011年9月17日、その後Occupy Portland(以下「オキュパイ」)が10月6日に始まりましたが、1万人程(*1)が参加したデモの後の公園占拠を見に行ったのが最初です。オキュパイの準備会は数百人単位で行われていましたが、そちらはyoutubeで見るのみでした。

ちょうどその頃、自分は学校(プロセスワーク研究所、紛争ファシリーテーション及び組織変革・修士課程)の卒業試験が迫っていて、オキュパイが自分のファシリテーション能力を磨く、いい学びの機会になるかと思ったんですね。


A: つまり、現場でプロテストしてたわけではない?

J: 全くしなかったわけでもないんですが、主に紛争解決ファシリテーター/組織変革ファシリテーターとして現場に通っていました。1%側のことも常に考えていましたよ。

A: ちょっと聞き慣れない言葉ですが、紛争解決ファシリテーターとは?

J: えっとですね、ファシリテーターって日本だとリーダー、引っ張って行く人、といった役割も含んで使われることが多いみたいですが、そうではなく、ファシリテーターはリーダーとはまた違う仕事です(*2)。一言でいうと、紛争やトラブルの解決がスムーズに進むように介入する人、です。

でも、自分の中では葛藤があったんですよ。というのも、自分はかってシステムエンジニアとして、金融システムの構築に関わってたことがあったんです。まあ、Wall Streetが身近だった。でも、それとは別に、自分の中ではOccupy運動側を理解する気持ちもありまして。そういう相反する気持ちがありました。
さらに、ファシリテーターって中立的じゃないとできないんですよ。その為にも、自分の視点や立場のバイアスに自覚的じゃないといけないし、常にそのバイアスを皆にも話しておきます。


A: あ、そういえば、医療事故のメディエーター(事故が起こってすぐに、被害者と加害者の間に入って調停を行う人)は病院の立場でも患者側の立場でもだめで、紛争解決の専門として中立の立場の人間がやるべき、っていう話がありますね。なかなか、実現は難しいんですけど。
アメリカはそういう立場性、専門家の倫理が非常に厳密という印象ですね。それに比べると日本はちょっと、なあなあな気がします。

J: そうじゃないと機能しませんからね。

A: 具体的にはどんな事をしていたんですか?

J: 主に自分はセーフティ・チーム(Safety Team)にいました。
市長とオキュパイ側の連絡の為のチームにも少し参加していました。

A: おお、市長ですか。

J: はい。サム・アダムス市長(当時。現在はチャーリー・ヘイルズが市長)はソーシャルメディアが好きなんですよね。で、市長と携帯のテキストメッセージでやり取りをする人がオキュパイ側に1、2名いました。さらにその市長のテキスト情報をどうやって扱うか検討するチームが5名程度で構成されていました。

でもまずはオキュパイの現場がどんなだったか、説明した方がいいかな。
一言でいうなら、カオス、でした。有機的にオーガナイズされたカオス。


A: というと?

J: 警察も含めて常に新しい人が出入りしていて、何が外部/内部かわからない。
あと、これはオキュパイの特徴かもしれませんが、アナーキストから左翼、右からティーパーティまで、そして退役軍人、あらゆるバックグラウンドの人が混じっていました

A: あ、そういえば、ポートランドのアナーキスト・カフェ行った事あります。サラダが美味しいからって行ったんだけど、未だにアナーキズム(無政府主義)本気の人たちが普通にいるっていうのにビックリした。さらに、普通にカフェ運営しているところも。こういう多様性ってポートランドならでは、っていう気もするなあ。

J: Red and BlackっていうWorker owned(*3)のカフェですね。赤は共産主義、黒はアナーキズムの色です。まあ、別にポートランドでアナーキズムがポピュラーというわけではないんですが、でも他の地域に比べれば、自主独立の空気は強い土地柄ですね。オレゴン州の憲法の第一条、第一項では、フランスの革命権みたいに、「市民は政府を倒す権利がある」と書かれています。(*4)ていうか、これ、abolishという英語だから倒すっていうより破壊する権利、って言っちゃっていいのかな。(アメリカでは州独自の憲法と、連邦政府憲法がある。)言ってしまえば、アナーキストと市民運動って、ある程度は、同じ方向を向いているということはありますね。

A: 確かに。既存のシステムに変更を求めるという点では

J: 余談ですが、アナーキストがやってるだけあって、貧乏人には使い勝手いいです。無料で使えるコンピューターが2台もあるカフェなんて、他にはないですねー。

A: おお、それはいいね。味も雰囲気もよかった記憶があります。
で、話を戻すと、オキュパイしてるのは99%なんだから、そりゃ、あらゆる人がいるはずですよね。

J: そうですね。裁判所と牢屋の前で占拠してたから、そこから出て来た人たちがそのまま参加もしていましたよ。あと、資産家の令嬢なんかもいました。1%側の子弟も実は結構いたんです。リードカレッジという超エリート校の生徒もかなり来ていました。弁護士もいたし、ポートランド大学の教授がティーチ・インしている場面も見られました。

A: へえ、面白い。このインタビューシリーズを始めるキッカケもそうだけど、オキュパイってメディアで報道されてた姿と現実が大分違いそうな気がするんです。そういうカオスな部分ってあんまり知らなかったし。

J: まあ、それはマスコミが成功した、ってことなんでしょうね。
ぶっちゃけカオスだから取材しても、彼らが何やってるか非常に分かりにくい。だから、メディア側の「こういう風に見せよう」というフレームが強くなってしまう、というのはオキュパイの特徴です。まあ、メディアからしたら、スポンサーのことを考えざるを得ない部分があるわけで

A: なるほど。まあ、どんな運動でもそういう事情はあるかもね。
だからこそ、今からでもオキュパイを個人レベルで振り返る、って大事かな、と。
それではもうちょっと具体的に、オキュパイの現場について教えてもらえますか?

J: 実際に市庁舎前の公園の占拠は1113日まで。その日の深夜に警察機動隊がテントを公園から撤去してフェンスをはりました。
でも、オキュパイ運動はデモ、集会、ミーティングといった形でこの後も続きます。規模はそれぞれ大小あります。公園占拠時は24時間営業でしたが、それ以降は、教会に事務所を借りて夜は閉める形で運営していました。オキュパイのウェブサイト(occupyportland.org)を更新をしているのは今でもこのグループです。

A: グループというと?

J: 先ほどカオスと言った通り、多様なグループが入り交じっての公園占拠だったんですよ。だから、Occupy Portlandとしての意思決定の場の運営はとても難しかったです。チャレンジングでしたが、それなりのガバナンスがありましたし、ある程度は成功したと思います。

A: なるほど、運動の意思決定は重要な話題になると思うので、次回以降にまた詳しく聞かせてください。
それでジローさんは、運動にどれくらい関わっていたんですか?

J: はい。公園占拠時は、夜の8~9時くらいから深夜1~2時まで、週4、5日は現場に通っていました。でも、1113日の撤去が近くなると逮捕の可能性が高くなってきたので、通りすがりの人として見るくらいですね。

A: それまでは逮捕の可能性は低かったんですか?

J: たぶん市長の計らいだと思うんですが、始めのうちは、何時間もかけて、複数回警告を繰り返した上で、「それでも逮捕されたいんですか?いいんですか?なら逮捕しちゃいますよ!」といった感じで逮捕していました。

A: プロテストにおける表現の自由が守られていたってことですね。

J: でも後半、11月以降は、警告なしで逮捕が行われるようになってしまいましたが。

A: 警告を繰り返すとは?

J: 「ここから立ち退かないと逮捕しますよ」を何回も言うんです。それでも市民的不服従をしたい人、数人から十数人ですが、そういう人たちはまだ頑張るわけです。そうして最終的には逮捕されるんですが、結果としては逮捕されるとメディアに載るという効果もあったりします。

A: 市民的不服従について教えてください。

J: より大きな大義のために、法律/規制のルールを破って逮捕の危険に曝されながらも、非暴力手段を通じて抗議活動をすることです。イギリスにプロテストしたボストン茶会事件(1773年)から始まり、アメリカの歴史そのものみたいなものと言ってもいいんじゃないでしょうか。世界的にはマハトマ・ガンジーとか、ネルソン・マンデラ、ベトナム反戦とか有名ですよね。

A: そうやって逮捕された人って、すぐに釈放されるんですか?

J: 数時間から24時間以内には釈放されます。逮捕の話題はちょっと複雑なので、また次回以降詳しく話したいと思います。

A: 了解です。もうちょっと、現場について聞かせてください。
当時、占拠はホームレスがいたから成り立ってた、と聞いていましたが実際はどうでしたか?

J: 私の感覚では、ホームレスがいたからこそ、というのは違うと思います。

A: でも、仕事にいったりしてる間に占拠を頑張る人が必要では?

J: 失業者がいるでしょ。

A: あ。そうか。大量のレイオフもきっかけの1つですものね。

J: あと、先ほども言ったように、あらゆる種類の人がいました。
現場がどういう感じだったかというと、まあ、始めの12日はみんな興奮して寝れない状況で。
24時間ご飯が提供されていたんですよ。
食料提供は、コープとかオーガニックスーパーとか、コミュニティ系のスーパーが賞味期限が近いといった理由等で店頭に出せない商品を提供していました。

A: オーガニックのお弁当って買うと高いから、いいですね、その状況。

J: はい、ある意味パラダイスというか。寝袋やテントは持参する人がほとんどでしたが、寄付もありました。
まあ、野外キャンプがそのまんま、というか、ドネーション(寄付)で作られた野外フェス、というか。
とにかく、お金からモノから寄付がたくさん集まっていました

A: 私は3ヶ月住んだことがあるだけですけど、もともとポートランドってそういう土地柄かもしれませんね。ホームレスへの支援、地産地消、エコロジー、地域通貨、オルタナティブな教育や生活のためのコミュニティ、そういったこと事への試みが差別されることなく行われていると思う。(*5)

J:そうですね。エコロジカルな都市計画はポートランドが全米一なんですよ。(*6)もともと、ウオールストリート的な価値観とは違う、持続可能なライフスタイルを実践して来た人たちがたくさんいる街なんです。

A: そこがポートランドの魅力ですよね。オキュパイは、私が住んでいたベイエリアのオークランドでも激しかったけど、それと比べると、ジローさんから話を聞いていた影響もあるけど、平和にコミュニティレベルで進めようという印象です。
運動を進める事がコミュニティ作りにもなる、そういう側面についても今後聞いていきたいです。

J: そうなんです。みんなのオキュパイ体験のコアに、コミュニティ作りがまさにあったと私は思っているんですよ。もともとあったコミュニティ作りのツールも大活用されましたし。

A: おお。それはまたエキサイティングな話になりそう。楽しみです。とりあえず、初回はここまで。ありがとうございました。


注、および、ハミダシつぶやき


(*1)ジローさん自身を含め現場で数えた人によると、800012000人という数字がでたそうです。マスコミも8000程度で報道していたので、1万はかなり現実に近い数字ではないか、とのこと。ちなみに、ポートランド市の人口は約60万人。

(*2)Facilitate=〔物・事が仕事などを〕楽[容易]にする、手助けする、促進する [英辞郎より]
アメリカで生活していると、集まりや会議で、リーダーとは別にファシリテートする人を決めて、「こういう風に話し合いましょう。」と介入しながら進めて行くことも多く、そのやり方が、日本から来ている私には新鮮です。そうしないと、皆勝手な事を口々に言い始めるわけで、それは空気を読みながら話す日本とは違いますよね。逆に日本では一人一人が自分でファシリテートしちゃって、というかしすぎちゃって、「率直な自分の意見を引き出すのが良いファシリテーション」とのこと。

(*3)Worker owned:雇う側と雇われる側に分かれておらず、全員が労働者感覚で運営されているビジネスのこと。
私がいたサンフランシスコでも、オーガニック系スーパーなどWorker owned!を掲げたお店を何件かみかけました。日本では意識したことがなかったものの、ワーカーズ・コレクティブ、ワーカーズ・コープ(労働者協同組合)が意味として近いです。ジローさんによると、そこまで流行っているわけでもなく、レアといっていいくらい。

(*4)原文は、they have at all times a right to alter, reform, or abolish the government in such manner as they may think proper (人々が適切と思うやり方で政府を変えたり無効にしたりする権利を常に持つ)です。abolishは無効にする、破壊するといった意味。
参考HP:http://www.leg.state.or.us/orcons/orcons.html


(*5)ここで、私の偏ったポートランドの印象をもう少し。表現の自由を守る姿勢が 強いエピソードとして、全裸でも逮捕されません。サンフランシスコも全裸コミュニティがしっかりあるようですが、2012年に全裸が違法になってしまったので、全裸愛好家はオレゴン州へ移住するかもしれない。
また、LGBTへの理解が深く、ローカルマガジン恒例のセックス調査で、性別欄が5項目あったのには、ちょっと感動。(男、女、男女、女男、まだわからない)
本稿にもでてくるサム・アダムス前市長は、アメリカの(ある程度の大きさの)都市で初めてゲイであることを公表して市長に選ばれています。
また、ホームレスの話題としては、ポートランドの支援が厚いからと、近隣の都市ではポートランドまでの交通費をホームレスに渡して追い出している、なんていう(かなり確度の高い)噂もあるそうです。

(*6)ポートランドは2008年にPopular Science誌により「全米一グリーンな街」に選ばれています。世界的には、レイキャビクに次いで2位に選ばれたことも。
ポートランドを含む「METRO=ポートランド都市圏広域地方政府」は、全米で唯一、公選制(直接選挙)の首長と議会、さらに独自の憲章を持つ共同体であり、都市の成長と周囲の自然環境の保全のバランスを取りながら周辺地域を管理しています。
参考HP: ポートランド・メトロの発展と広域計画(村上威夫)http://reocities.com/NapaValley/7711/portland/chikai.html



ようこそ!

Occupy Wall Street からもう2年近く。運動自体はまだ細々と続いているとはいえ、この2年弱の間、バランスを欠いた金融資本主義は幅を利かせ、貧富の差は広がる一方の状況が続いています。
日本のことを考えると、2年前の震災以降、原発と放射能汚染が国民全員の切実な問題となり、さらに、戦後の社会システムのほころびがボロボロと見えるようになってきました。そこへ自民党による憲法改悪(と言ってしまいます)の動きなど、一人一人が状況を良くして行くために立ち上がらないといけない、そんな気持ちを私たちは持つようになってきたのではないでしょうか。実際に脱原発の運動を始め、震災前とは違った雰囲気の市民運動が広がってきているように思います。

オキュパイ当時、それは2011年の秋でしたが、私はちょうど東京からサンフランシスコに引っ越したばかりで、困った事があるとポートランド在住のジローさんに電話で泣きついていました。電話に出たジローさんは、「あ、今、オキュパイに来ていてね。現場見ますか?」ってカメラオンで案内してくれたり、最新のオキュパイなネタを話してくれたりして、その内容の新鮮さ、市民運動の最新形に、遠くながら興奮したのを憶えています。

そんな興奮を、昨今の政治状況を見る中で、フと思い出した!
そういえば、うっかり忘れかけていたけど、オキュパイで得たものって大きいんじゃないか。アメリカの市民運動の歴史は厚く、その積み重ねて来た知恵と行動力を結集してるのだから、そこから学ぶ事は沢山あるはず。そう思った私はジローさんと一緒に、このインタビューシリーズを立ち上げることにしました。

ジローさんは、紛争解決ファシリテーター。トラブルの平和的解決をサポートするスペシャリストです。このインタビューシリーズは、そんな彼から見たポートランドのオキュパイ運動です。非常にパーソナルでローカルな話ではありますが、だからこそ、新しい市民運動の可能性、具体的な行動や思考のためのツールが見えてくれば、と思っています。
単に読み物としても面白い、はず。これを目にしたあなたが楽しんでくれたら、また、身近なこと、社会的なこと、いろいろなレベルで考えるヒントがあるな、と思ってくれたら嬉しいです。


2013年8月 千種あや