2013年8月25日日曜日

第2回 公園占拠48時間


前回記事:第1回 オキュパイの現場 へはこちらからどうぞ。


A: 前回以降、ジローさんとスカイプで色々と話してきましたが。

J: はい。

A: それこそ話がカオス&深いというか、様々な話題が登場しすぎて、第2回にどう進むべきか悩んじゃったんですが、まずはオキュパイ初期の現場の様子を聞いていこうと思います。

J: 了解です。熱狂の初日から、そろそろ寝ようぜ、って言い始める3日目まであたりについて話しましょうか。初期と中期、後期ではだいぶ雰囲気も違うものになっていきますし。

A: 本当に寝なかったんですか。

J: もうお祭り感覚でね、「新しい世界を作るんだ!」ってハイになってるわけですよ。寄付の物品や食料はばんばん届くし、公園をテントがどんどん埋めていってね。開始後48時間くらいは、そんなに寝てない人が多いですよね。
バーンアウトが心配になった私は3日目過ぎたあたりから、「食べてる?」「寝てる?」っていう声かけをするようにしました。

A: うーん、声かけするほどとは。では、その熱気の中、何が起こったか聞かせてください。

J: はい。10月6日の1万人のデモ(*1)の最終地点がポートランド市庁舎前の公園で、そこに到着直後から、キャンプの設営が開始されました。

A: 占拠開始!ですね。

J: テント設営とともに、ニューヨークのOccupy Wall Streetにインスパイアされた各人が思い思いに活動を始めました。
まずは、コアとなるインフォメーションのテントができました。ここでは寄付も受け付けていました。

そして、フードのブース。大きなキャンピング・キッチンみたいなもので、洗い場もちゃんとありました。
材料に加えて鍋やコンロもどんどん届いたり、持って来たりで。
始めの3日間は24時間態勢で作り続けていましたが、さすがに3日目ぐらいからは1日3食にしよう、とか、夜は休もうとか言うようになりました。

A: 24時間態勢!一体、何人分くらい作っていたんですか?

J: うーん、ざっくり言うと数百食/回くらいかな。一日単位だと1000食は作ってましたね。ちゃんと食料倉庫もあって、食事の合間のスナックも用意されていました。

A: もうそれ聞いただけで、どんだけのお祭りかって思っちゃいますけど。どういう人がそこで働いていたんでしょう?

J: ずっと鍋の前に張り付いているコアなメンバー(*2)もいれば、フラッと来て手伝えることをする人まで、あらゆるレベルでの参加があったと思います。

A: そこはオキュパイな参加の仕方ですね。衛生面は大丈夫でした?

J: はい。衛生手袋をしたり、努力してそれなりに保っていましたね。

あと、初日にできたものといえば、「持っていってくださいテント」。アメリカだと必要なくなった服の寄付を集めているセンターが街中にあるじゃないですか。それを持って来て、「靴下濡れていたら、ここから乾いた靴下持って行ってね」とか、ちょっと匂う人がいたら新しい服を配給したり、そういう事していましたね。

まあ、そういう風にお祭り感覚で、レインボーギャザリングやオレゴンカントリーフェア、バーニングマン(*3)を全部ひっくるめた感じでしたよ。


A: 実際、そういうコミュニティ系フェスティバルで養って来た技術とかツールも大活躍ですよね。そういった事に慣れてるように聞こえます。
ジローさんが参加していたセキュリティ・チームはどうでした?

J: 私がセキュリティ・チームと行動を共にするようになったのは4日目以降なので初日はどうだったかわからないです。
ファシリテーション・チームは1日目からありましたよ。コアなメンバーが3、4人に、プラス5人くらいが関わっていたかな。

A: なるほど。ファシリテートする事が初日からあったんですね。

J: はい。そこらじゅうで。また、初期は1日に10個ほど、いろいろな種類のミーティングがライブラリーと呼ばれる場所で行われていました。公園内を「~の話し合いしますよー」と言って回ったり、看板立てたりして周知して。

A: ライブラリーってことは図書館?それがテント内にあったの?

J: はい。初日私はAちゃんに出会ったんですけど、彼女は「私、ライブラリー作る!」って言い出して、その日のうちに作っちゃったんですね。板とか椅子とか組み合わせて。
本もどんどん届いたし、ミーテイングスペースも2つほど作って。

A: 本格的!なんか村みたい。運動初日に図書館、というのは重要な気がしています。なんというか、知の集積がネットじゃなくてその場にあるのが。やはりオキュパイは、「コミュニティビルディング」っていうところがキーなのかしら。
ジローさんは何か参加してました?

J: まずですね、初日の深夜1時くらいかな。ポートランド大学の経済学の教授のティーチ・イン(勉強会)に参加しました。参加者は15人くらい。

A: それは何についての勉強会ですか?

J: 「経済的な視点から見たOccupy Wall Streetの背景」です。デリバティブとかフォークロージャーとか、債券評価会社とか。(*4)
オキュパイでは、政治的な運動だけじゃなくて、知的な勉強会も行われていた、というのは、強調したいと思います。

A: しかも初日から、というのはポイントですね。

J: はい。あと、2日目には、メディア・リテラシーの勉強会もしましたね。これって非常に重要というか、欠かせないと思うんですよ。例えば、メディアの写真やビデオにどうやって写るかって、大きな力になるんですね。
3日目以降もいろいろと。ファシリテーターとしても参加しましたよ。

A: 細かく聞くだけの紙面は今回はないんですが、でも、メディア・リテラシーについては、重要なのでまた次回以降、きちんと聞こうと思います。
あと、誰が出入りしてたか、っていう所で、メディアや警察はどうしていました?

J: 警察は公園の外から結構な数が見守ってましたね。オキュパイ中盤には2人くらいしか見かけない時もあったけど、やはり開始以降しばらくは公園の中もそれなりに歩いていました。オキュパイ側も警察側も初めての事態に慣れない感じがありましたね。普段の警察の業務とは全然違いますしね。

A: 彼らは何もしなかったんですか?

J: (プロテストとしての/政治的な)「表現の自由を守る」のも公務員(警察)の義務なのでね、何もしませんでした。翌日以降、オキュパイ側は市長側と公園に居続けるための交渉に入り、結果としては1ヶ月以上続くわけですが。

メディアは、初日から3日くらいは、毎日3、4回は来て現場をリポートし続けてました。


A: マスコミから地元紙まで?街の話題がオキュパイ一色、という感じでしょうか。好意的な扱いでしたか?

J: そうですね。結構ニュースになってたと思います。もちろん好意的かどうかはメディアによりけりです。
報道を見て現場に来た市民も大量にいます。

A: オキュパイしに?

J: そういう人たちもかなりいたし、ただ見に来る人も。
あとは、寄付に来てくれる人達。例えば、食関係、レストランやカフェやスーパーの人たちは、営業後にまだ食べれる残った食料を食材やお弁当にして持って来てくれました。
また、当初から、必要なモノは、ツイッターやウェブサイトで発信し続けていましたね。まあ、実際にそれが届くかはその時々って感じで。

A: 実際にオキュパイしてなくても、それぞれのやり方で参加していたんですね。

J: はい。これはかなりの人数ですよね。
様々なレベルで、自分にできることでサポートしたい!という気持ちが強い人が多かった
実は長期的には、テントで寝泊まりしてない人の方が若干、貢献が大きかったんじゃないかな、と思います。というのも、テント生活は疲れちゃうという事情もあり。

こうした市民のサポートは、最後、オキュパイ運動がメディアにネガティブキャンペーン張られるまで続きました。

A: むむ、ネガティブキャンペーンとは気になる話ですね。

J: ホームレス、政治的に正しく言うとハウスレス、それから路上に近い人もそれなりにいましたし、ネガティブな報道が中盤以降だんだんに増えていったんです。
例えば、オキュパイ周辺の犯罪率が上がった、という警察の発表とかね。
ただ、それに対して、オキュパイ側は彼らが元々いた橋の下周辺の犯罪率は下がってる、とか、街全体の犯罪率は下がってる、と反論するわけですが。

A: オキュパイでホームレスの人の犯罪の問題や安全性の低下、というのは、よく聞く話ですよね。まあ、それだけの人がキャンピングしてたら、色々問題も出てきますよね。Occupy Wall Streetの記事でも、近隣住民がはじめはサポートしていたものの、路上に排便(!)排尿、もうたまらない!って怒るシーンが出てきて、マナーも徹底はできないよなーって思いました。

J: はい。私自身の感覚としても、現場に出入りし続けて行って、安全に対する感覚には変化がありまして。例えばホームレスの人へのサポートや問題も1つの大きなテーマですよね。これはまた話したいと思いますが。

A: そうですね。また次回以降、お願いします。
最後に、初日といえば、オキュパイ運動の要であるジェネラル・アッセンブリー(General Assembly 、以下GA)は、かなり盛り上がったと思うんですが。

J: はい。盛り上がってましたよー。

A: GAはニューヨークのOccupy Wall Streetから持ってきたアイデアですよね。でも集まりの際、リーダー的な存在の人はいたんですか。

J: いや、リーダーということはないです。「たくさんのリーダーがいた」という言い方もできるでしょうか。オキュパイでは、「わたしがやるー!」で全ての物事がスタートしますから。GAのファシリテートもそんな感じですね。
準備会をやってきていたので、そのコアメンバーが、というところはありますが。これも移り変わっていって。

A: なるほど。そうですよね。オキュパイはフラットな運動なので、リーダー、じゃないよね。この話はかなりコアになっていく気がしてきましたが、もうだいぶ話したし、GAについては、次回のテーマにしたいと思います。

J: そうですね。時間軸で言うと、GAの移り変わりがオキュパイ=公園占拠の流れの変化と重なるわけで、この辺りはきちんと話したいですね。

A: 次回以降もよろしくお願いします。ありがとうございました。


注、および、ハミダシつぶやき

(*1)1万人も参加して、なんと逮捕者が1人もでなかった!そうです。そのデモ技術など気になる所ではありますが、このデモについては、また回を設けたいと思います。

(*2)キッチンで主に活躍していたのはfood not bombのグループとのこと。Food Not Bombは80年代に反核運動の1つとして始まった食の草の根の運動で、今では全米及び世界中でグループがあります。現代社会の問題に対し、暴力ではなく食で対抗しようという発想が名前の由来。形が悪い、賞味期限が近い、等の理由でスーパーに出せない食材を使ったヴェジタリアン料理を公園で振る舞う活動をしており、ポートランドFood Not Bomb のミッションには「ハイエラルキーや暴力を除外し、共に創造的に働くことで、より強く健康的なコミュニティを打ち立て、地球上の全ての人と分かち合う」とあります。

(*3)これらの野外フェスには、カウンターカルチャーから出てきた、商業主義を排し、自然の中で環境に配慮した集団生活を送りオルタナティブな生き方を模索、医療などのインフラを含めたコミュニティ運営を意識的にしている、といった共通点があります。以下、簡単に説明をば。

*オレゴンカントリーフェア Oregon Country Fair:1969年にオレゴン・ユージーンで子供のオルタナティブスクールの資金集めのためにクラフトフェアを開いて以来毎年続く、家族向けの野外フェス。当時のヒッピーカルチャーともつながりが深い。
*レインボーギャザリング Rainbow Gathering:1971年にコロラドでの集団キャンプから始まった運動。今では毎年世界レベル、アメリカ各地で数万人規模の集まりとなっているが、コミュニティイベントとして小規模なものも各地で行われている。ネイティブアメリカンの思想を取り入れ、平和の分かち合い、自然環境との融和などを挙げており、コミュニティ運営もそれに沿って設計されている。
*バーニングマン Burning Man:1981年以来毎年カリフォルニアで行われる大規模な集まりであり、外界と遮断された塩類平原の真ん中で参加者一人一人の自立と自己責任のもと共同生活を1週間続ける「コミュニティ実験」。ちょうどこの回がアップされる8月最終週に開催している。過酷な環境下において生活するためのインフラから放送局まで、全てがボランティアで作り上げられており、一週間だけ砂漠に街ができるが、開催後は痕跡を残さない努力が行われている。アーティストの参加が多く、各自持ち寄ったアート・インスタレーションやパフォーマンスを繰り広げることでも知られる。私の周りでも、インタラクティブアート作品をトラックに乗せてNYから向かったダンサーや、SFのヨガコミュニティの人、とにかく楽しいことがしたい若者、なんかが向かっています。

(*4)規制緩和により行き過ぎた金融資本主義は、2008年のリーマン・ショックをきっかけにクラッシュ。この金融危機以降、アメリカでは沢山の人が職を失い、家を失ってきました。人々の暮らしとかけ離れた所でリスクの高い金融商品(デリバティブなど)が売買される事から生まれる超富裕層と、マネーゲームによる不況を被り、失職した人たち(主に若者)、不公平なシステム(フォークロージャー、いわゆる差し押さえ)により家を失った人たちや、そうでなくても教育費や医療費等の負担増に苦しむ中間層の間の溝は深まるばかりで、そういった状況が「ウオール街を占拠せよ=Occupy Wall Street」の背景となっています。ちなみに富裕層への税率の低さや富の集中は、80年代から進んでいました。