2014年4月23日水曜日

第4回 オキュパイとは何だったのか

前回までの記事はこちらからどうぞ:
第1回 オキュパイの現場 

☆前回同様、半年間眠っていたインタビュー記事です。実はこの半年の間に「オキュパイ」という言葉自体を聞く機会は減ってきたように感じます。とはいえ、台湾の議院占拠や反原発の国会前のデモのように1つの場所を占拠する運動の勢いは衰えていません。ここで改めて「オキュパイ的なもの」とは何か、について確認したいと思います。第1回と合わせて読むとわかりやすいです。

A: 前回に続き、雑談の延長線上にいる私たちですが、もうちょっとクリティカルな話をしようと思って。各地のオキュパイ運動の共通項、そもそもオキュパイって何だったの?というあたりです。

J: 了解です。60年代、70年代の社会運動にソーシャルメディアが加わったもの、でも若干希望低めというのが1つの簡単な見方です。(*1)
そしてまず基本としては、オキュパイにおける1つの目的は99%の声を上げる、とうことですよね。1%側の論理、ウオールストリートの論理が社会では上手くいってないから、違うシステムを作ってみる。

A: でもそもそも99%なんだから、っていうか実際は99.99%だし、本当はこっちがマジョリティのはずですよね。

J: マジョリティ側(99%)が押しやられてるのは、歴史を見てもそんなに珍しいことではないですよ。
昔から革命は多くの人を長く抑圧することで起きると思われていましたが、実は最新の研究では、そこに新しい力がでてこないと起きないと言われています。で、権力側が新しい力を取り込んでいくものですが、そのスピードが遅すぎたり、うまく取り込めなかったりすると革命が起こる、という視点があります。
今現在の世界の状況として、現権力がソーシャルメディア等の新しい力を十分に取り込めてないんじゃないでしょうか。

A: なるほどー。新しい力は今で言うとウェブ空間、ソーシャルメディアのことですよね。面白い視点ですね。ニューヨークのオキュパイ・ウオール・ストリート(Occupy Wall Street、以下OWS)は、中国やスペインの若者の運動やアラブの春で始まった、運動手段としての「場の占拠」をインスピレーションにしていますよね。私が917日(2013年)の2周年記念ジェネラル・アッセンブリー@ズコッティ公園に行ってみて強烈に感じたのも、「場の力」でした。

J: 「新しいコミュニティの実験」という見方もありますね。近代パラダイムとは違うシステムでやってみる。つまり、空間を仕事、や消費、といった単一の目的では使わず、多様な人が多様な使い方をする、インクルーシブ(包含的)なシステムです。あと、住民参加の中でコミュニティ・ビルディングを進める。

A: インクルーシブというのは、非常に重要な視点ですよね。また、その方法として多数決を使わず、その場にいる人の「総意における決定」で動いた、というのもオキュパイ運動の意義だと思っています。意思決定のやり方については次回以降で詳しく聞いていきたいですが。

前回も触れたけど、私が917日、OWS2周年のズコッティ公園で現場にいた人と話しても、とにかくコミュニティの感覚が強いんですよね。食事係のおじちゃんなんてね、自分たちはファミリーみたいなものだった、ってぽろっと言うんですよ。目に涙浮かべながら。あと、オキュパイ・ポートランドの初日からキャンプしていたという大学生は「あの初めの数日間は自分の人生で一番美しい瞬間だった」って言っていました。彼にとってはそれだけ価値ある経験だったんですよね。


J: メディアはオキュパイを「プロテスト、抵抗運動」として捉えていますが、実は「コミュニティ」の色が強かったんですね。

A: 他にオキュパイの意義って何かあります?

J: あらゆる社会運動家、ソーシャル・アクティビストが全員集合!したことですね。それまで社会運動家は、それぞれの分野で孤独な戦いをしてきたのが、オキュパイで突然ブートキャンプ的に集まっちゃったわけです。
そこでどんな良い事があるかというと、まず、自分の姿のリフレクション、「これって自分だけじゃなかったんだ!」という気づきは大きいですよね。また、ミューチュアル・ヘルプ、セルフヘルプ、日本語でいうところの互助(*2)があります。

A: それは、よくわかります。昔、日本全国の患者会、障害者団体のリーダーが泊り込みでワークショップ をする、という集まり(*3)に通ったことがあるんですが、その通りでしたね。孤独な戦いをを強いられるリーダーやリーダー的な存在の人達ならではの悩みを、フラットな関係の中、建設的にシェアし合えるっていうのは大きいですよね。また、横のつながりを持つという意味でも。

J: そうなんです。また、私の見るところ、社会運動家は問題やグループに対する力は強いんですが、一対一で繋がる力、リレーションシップ方面はどうやら弱いんです。なので、私はファシリテーターとしてそこに働きかけるようにしていました。元気になったと思いますよ。グループではなく、一対一で話すと深い話が聞けましたね。

A: また話が戻りますけど、やっぱり、「場を作った」っていうことなんですよね。「場の力」がじわーっと。

J: はい。寝る、食べる、あ、あと、お手洗い、排泄という人の基本をまかなう場なんですね。突き詰めちゃうと、「人として生きていくこと」の実践というか。
ポートランドでブラックパンサー(*4)の活動に関する話を聞いたことがあるんですが、温かい食事の供給がいかに大変で、またいかに楽しかったか、という話をしていたんですよ。運動のコアにそういうものがある。

ちょっと余談ですけど、私は個人的にポートランド大地震に向けての予行演習という面もあったんじゃないかなーとか思っています。ライフラインが止まった時に向けて。
しかしながらポートランドは、公園内に電気自動車用のコンセント、水、トイレすべてが揃っていたのはラッキーでしたねー。


A: おお、それは便利。ニューヨークの事情を読んでいると、とにかくトイレはどの店を使うといいだの、マクドナルドのトイレの列で仲間を見つけるだの、そういう話が多いんですよね。トイレから話が始まっている。

ところで、素朴な疑問として、そもそもオキュパイする必要ってあったんだろうか?


J: うーん、まあ、今までもプロテストとして公園などの場の占拠する、というのはやってる人はやっていたんです。一日一度かもしれないし、年に一度かもしれないし、10年に一度かもしれない。たまたま「大きな波がきた」ので一緒にやった、という側面があるんじゃないでしょうか。
今でもやってる人はやってますよ。この前も市庁舎前を通ったらVigilっていうグループのレギュラーメンバーが2人程いましたね。

A: わ、かれこれ2年も!

J: ただ、彼らは自らをオキュパイと呼ばなくなっていったんですが、こういったオキュパイを引き継いでいる活動についてはまた詳しく話そうと思います。

A: そうですね。よろしくお願いします。
そうそう、ちょっと気になっているのが、NYでも、おじさんが一人でOcuupy!って看板掲げて公園に立ってパンフ配ったりしているのもあれば、Occupy Unionsquareっていう継続的である程度オーガナイズされたグループもあるんですよね。で、オキュパイ後は、Occupyが市民運動を総称してる?という印象があるんですが。(*5)

J: コピーライトがありませんから。好きに言えちゃいますよね。ダメダメな例としては、Occupyブランドを使って、オキュパイ同士だから金かせよ、とか、オキュパイなら~はすべき、みたいな人も当時は出てきて、でも運動の必然ですかね。こういうのは。

ただ、私がここで強調したいのは、オキュパイ的なもののエンパワメントの効果、という側面です。
私からすれば、毎週金曜に行われている官邸前のデモもオキュパイに見えます。

つまり、「ある象徴的な場所を決めて、そこを拠点として定期的に権力と戦おうとする。そこに人が集まり、横のつながりができ、コミュニティ・ビルディングができる。
そういう新しい抵抗の表現/戦略が有効であると、世界レベルで学んだこの数年、という感じでしょうか。
それがアメリカでは”Occpy”として展開した、と考えています。


A: そうですね。その前にはスペインの15M、アラブの春、中国版ジャスミン革命などなど起こったわけで。(*6)OWSの記録を見ていると、いかに今までの抵抗運動に影響を受けたか、という話も多く、いかに世界レベルでつながっていったのか、に気づかされます。
日本で若い人を中心に、デモが新しい形で受け入れられて実践されていっているのも世界レベルでの流れの1つとも見れますね。

J: その通りだと思います!

ちょっと長くなりましたが、今日の話をまとめると、
オキュパイには、「レジスタンス、抵抗による変化」と、「機能するコミュニティ/システムのモデルを新しくつくる=モデリングによる変化」という二つの価値観、二種類の人たちがあったんですね。

A: おお、まとまった!今までずっとオキュパイって何だったんだろうってモヤモヤしていたんですけど、今日の話でだいぶスッキリしました。ありがとうございました。


注、およびハミダシつぶやき

(*1)先進国における近代化の流れの中で権威/多数派に対抗して初めて立ち上がったのが60、70年代。当時の希望であったコミュニズムやソーシャリズムが上手くいかなかった今としては、希望がちょっと低い。。。今の方がより持続性が考慮されている形、というのがジローさんの意見。

(*2)セルフヘルプ=同じ問題や困難さを抱えている当事者同士が集まること。そこで話し合うだけのこともあれば、問題に対して社会的なアクションをとることも。当事者同士だからこそ、わかりあえることがある、というのがミソ。2人でも100人でも。

(*3ヘルスケア関連団体ネットワーキングの会(VHOネット) 
2001年にファイザーのサポートにより始まって以来、毎年開催されている患者会と障害者団体のリーダー達が集まるワークショップ。Ayaは、2005年頃セルフヘルプグループの研究をしていた関係で参加していました。
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=17151 ←「患者の声を医療に生かす」では、患者会のリーダー達が、患者の立場からのリアルな医療をセルフヘルプから政治運動まで語っています。)

(*4)ブラックパンサー/ブラックパンサー党:60~70年代の黒人解放運動を目指した団体。武装して社会革命を標榜した。警察やFBIとの闘争が有名だが、貧困層への食事配給や医療の奉仕なども行っている。
個人的に気になっているのは、党の文化担当相だったエモリー・ダグラス。彼のアートは今でも人気で、展示や本、壁画なんかでよく見かけます。http://www.moca.org/emorydouglas/

(*5)とはいえ、アメリカではこの原稿を書いた去年に比べて”Occupy”という言葉としての力が若干弱くなってきており、前回注で書いた通り、横断型の運動として”Wave of Action”という言葉を見るようになってきています。
*加筆:とはいえ、今年に入って、香港や台湾の若者がOccupy=占拠運動で頑張っていて、まだまだオキュパイは世界レベルで続いています。

(*6)2010年~2011年にかけて、SNSを駆使するといった新しい形の市民運動が世界中で始まりました。アメリカ国内でも、OWS前から各地で様々な運動が始まり、ニューヨークにおいても突然OWSが始まったわけではなく、すでに占拠&デモを試みていたグループがカナダの雑誌Adbustersの呼びかけに応じてデモを企画、その場の勢いで公園占拠が続いていった、という流れです。

ニューヨークのOWSに最も影響を与えたのは800万人近くが参加したスペインの15Mといわれており、同意による意思決定法を採用したジェネラル・アッセンブリー、コミュニティとして料理を振る舞う、といったことが行われていました。15M参加者がOWS準備段階にいて、その手法を採用していったそうです。
(参照:Writers for the 99%, ”Occupying Wall Street” 
日本語訳:http://www.amazon.co.jp/ウォール街を占拠せよ-はじまりの物語-ライターズフォーザー99/dp/4272330780/ref=pd_sxp_grid_pt_0_1)

15Mについて、デモクラシーナウ!のビデオ記事「オキュパイ運動の先駆け スペインのM15運動,占拠運動」

また、OWS前の2月にウィスコンシンで大規模なデモが行われた際、エジプトの活動家がこれに賛同する旨のyoutubeをアップする等、当時、世界各地でオキュパイ的な運動が共鳴し合っていたことが伺えます。
参照:マイケル・ムーア.com
”We Stand With You as You Stood With Us': Statement to Workers of Wisconsin by Kamal Abbas of Egypt's Centre for Trade Unions and Workers Services”
http://www.michaelmoore.com/words/must-read/statement-kamal-abbas