2014年4月23日水曜日

第4回 オキュパイとは何だったのか

前回までの記事はこちらからどうぞ:
第1回 オキュパイの現場 

☆前回同様、半年間眠っていたインタビュー記事です。実はこの半年の間に「オキュパイ」という言葉自体を聞く機会は減ってきたように感じます。とはいえ、台湾の議院占拠や反原発の国会前のデモのように1つの場所を占拠する運動の勢いは衰えていません。ここで改めて「オキュパイ的なもの」とは何か、について確認したいと思います。第1回と合わせて読むとわかりやすいです。

A: 前回に続き、雑談の延長線上にいる私たちですが、もうちょっとクリティカルな話をしようと思って。各地のオキュパイ運動の共通項、そもそもオキュパイって何だったの?というあたりです。

J: 了解です。60年代、70年代の社会運動にソーシャルメディアが加わったもの、でも若干希望低めというのが1つの簡単な見方です。(*1)
そしてまず基本としては、オキュパイにおける1つの目的は99%の声を上げる、とうことですよね。1%側の論理、ウオールストリートの論理が社会では上手くいってないから、違うシステムを作ってみる。

A: でもそもそも99%なんだから、っていうか実際は99.99%だし、本当はこっちがマジョリティのはずですよね。

J: マジョリティ側(99%)が押しやられてるのは、歴史を見てもそんなに珍しいことではないですよ。
昔から革命は多くの人を長く抑圧することで起きると思われていましたが、実は最新の研究では、そこに新しい力がでてこないと起きないと言われています。で、権力側が新しい力を取り込んでいくものですが、そのスピードが遅すぎたり、うまく取り込めなかったりすると革命が起こる、という視点があります。
今現在の世界の状況として、現権力がソーシャルメディア等の新しい力を十分に取り込めてないんじゃないでしょうか。

A: なるほどー。新しい力は今で言うとウェブ空間、ソーシャルメディアのことですよね。面白い視点ですね。ニューヨークのオキュパイ・ウオール・ストリート(Occupy Wall Street、以下OWS)は、中国やスペインの若者の運動やアラブの春で始まった、運動手段としての「場の占拠」をインスピレーションにしていますよね。私が917日(2013年)の2周年記念ジェネラル・アッセンブリー@ズコッティ公園に行ってみて強烈に感じたのも、「場の力」でした。

J: 「新しいコミュニティの実験」という見方もありますね。近代パラダイムとは違うシステムでやってみる。つまり、空間を仕事、や消費、といった単一の目的では使わず、多様な人が多様な使い方をする、インクルーシブ(包含的)なシステムです。あと、住民参加の中でコミュニティ・ビルディングを進める。

A: インクルーシブというのは、非常に重要な視点ですよね。また、その方法として多数決を使わず、その場にいる人の「総意における決定」で動いた、というのもオキュパイ運動の意義だと思っています。意思決定のやり方については次回以降で詳しく聞いていきたいですが。

前回も触れたけど、私が917日、OWS2周年のズコッティ公園で現場にいた人と話しても、とにかくコミュニティの感覚が強いんですよね。食事係のおじちゃんなんてね、自分たちはファミリーみたいなものだった、ってぽろっと言うんですよ。目に涙浮かべながら。あと、オキュパイ・ポートランドの初日からキャンプしていたという大学生は「あの初めの数日間は自分の人生で一番美しい瞬間だった」って言っていました。彼にとってはそれだけ価値ある経験だったんですよね。


J: メディアはオキュパイを「プロテスト、抵抗運動」として捉えていますが、実は「コミュニティ」の色が強かったんですね。

A: 他にオキュパイの意義って何かあります?

J: あらゆる社会運動家、ソーシャル・アクティビストが全員集合!したことですね。それまで社会運動家は、それぞれの分野で孤独な戦いをしてきたのが、オキュパイで突然ブートキャンプ的に集まっちゃったわけです。
そこでどんな良い事があるかというと、まず、自分の姿のリフレクション、「これって自分だけじゃなかったんだ!」という気づきは大きいですよね。また、ミューチュアル・ヘルプ、セルフヘルプ、日本語でいうところの互助(*2)があります。

A: それは、よくわかります。昔、日本全国の患者会、障害者団体のリーダーが泊り込みでワークショップ をする、という集まり(*3)に通ったことがあるんですが、その通りでしたね。孤独な戦いをを強いられるリーダーやリーダー的な存在の人達ならではの悩みを、フラットな関係の中、建設的にシェアし合えるっていうのは大きいですよね。また、横のつながりを持つという意味でも。

J: そうなんです。また、私の見るところ、社会運動家は問題やグループに対する力は強いんですが、一対一で繋がる力、リレーションシップ方面はどうやら弱いんです。なので、私はファシリテーターとしてそこに働きかけるようにしていました。元気になったと思いますよ。グループではなく、一対一で話すと深い話が聞けましたね。

A: また話が戻りますけど、やっぱり、「場を作った」っていうことなんですよね。「場の力」がじわーっと。

J: はい。寝る、食べる、あ、あと、お手洗い、排泄という人の基本をまかなう場なんですね。突き詰めちゃうと、「人として生きていくこと」の実践というか。
ポートランドでブラックパンサー(*4)の活動に関する話を聞いたことがあるんですが、温かい食事の供給がいかに大変で、またいかに楽しかったか、という話をしていたんですよ。運動のコアにそういうものがある。

ちょっと余談ですけど、私は個人的にポートランド大地震に向けての予行演習という面もあったんじゃないかなーとか思っています。ライフラインが止まった時に向けて。
しかしながらポートランドは、公園内に電気自動車用のコンセント、水、トイレすべてが揃っていたのはラッキーでしたねー。


A: おお、それは便利。ニューヨークの事情を読んでいると、とにかくトイレはどの店を使うといいだの、マクドナルドのトイレの列で仲間を見つけるだの、そういう話が多いんですよね。トイレから話が始まっている。

ところで、素朴な疑問として、そもそもオキュパイする必要ってあったんだろうか?


J: うーん、まあ、今までもプロテストとして公園などの場の占拠する、というのはやってる人はやっていたんです。一日一度かもしれないし、年に一度かもしれないし、10年に一度かもしれない。たまたま「大きな波がきた」ので一緒にやった、という側面があるんじゃないでしょうか。
今でもやってる人はやってますよ。この前も市庁舎前を通ったらVigilっていうグループのレギュラーメンバーが2人程いましたね。

A: わ、かれこれ2年も!

J: ただ、彼らは自らをオキュパイと呼ばなくなっていったんですが、こういったオキュパイを引き継いでいる活動についてはまた詳しく話そうと思います。

A: そうですね。よろしくお願いします。
そうそう、ちょっと気になっているのが、NYでも、おじさんが一人でOcuupy!って看板掲げて公園に立ってパンフ配ったりしているのもあれば、Occupy Unionsquareっていう継続的である程度オーガナイズされたグループもあるんですよね。で、オキュパイ後は、Occupyが市民運動を総称してる?という印象があるんですが。(*5)

J: コピーライトがありませんから。好きに言えちゃいますよね。ダメダメな例としては、Occupyブランドを使って、オキュパイ同士だから金かせよ、とか、オキュパイなら~はすべき、みたいな人も当時は出てきて、でも運動の必然ですかね。こういうのは。

ただ、私がここで強調したいのは、オキュパイ的なもののエンパワメントの効果、という側面です。
私からすれば、毎週金曜に行われている官邸前のデモもオキュパイに見えます。

つまり、「ある象徴的な場所を決めて、そこを拠点として定期的に権力と戦おうとする。そこに人が集まり、横のつながりができ、コミュニティ・ビルディングができる。
そういう新しい抵抗の表現/戦略が有効であると、世界レベルで学んだこの数年、という感じでしょうか。
それがアメリカでは”Occpy”として展開した、と考えています。


A: そうですね。その前にはスペインの15M、アラブの春、中国版ジャスミン革命などなど起こったわけで。(*6)OWSの記録を見ていると、いかに今までの抵抗運動に影響を受けたか、という話も多く、いかに世界レベルでつながっていったのか、に気づかされます。
日本で若い人を中心に、デモが新しい形で受け入れられて実践されていっているのも世界レベルでの流れの1つとも見れますね。

J: その通りだと思います!

ちょっと長くなりましたが、今日の話をまとめると、
オキュパイには、「レジスタンス、抵抗による変化」と、「機能するコミュニティ/システムのモデルを新しくつくる=モデリングによる変化」という二つの価値観、二種類の人たちがあったんですね。

A: おお、まとまった!今までずっとオキュパイって何だったんだろうってモヤモヤしていたんですけど、今日の話でだいぶスッキリしました。ありがとうございました。


注、およびハミダシつぶやき

(*1)先進国における近代化の流れの中で権威/多数派に対抗して初めて立ち上がったのが60、70年代。当時の希望であったコミュニズムやソーシャリズムが上手くいかなかった今としては、希望がちょっと低い。。。今の方がより持続性が考慮されている形、というのがジローさんの意見。

(*2)セルフヘルプ=同じ問題や困難さを抱えている当事者同士が集まること。そこで話し合うだけのこともあれば、問題に対して社会的なアクションをとることも。当事者同士だからこそ、わかりあえることがある、というのがミソ。2人でも100人でも。

(*3ヘルスケア関連団体ネットワーキングの会(VHOネット) 
2001年にファイザーのサポートにより始まって以来、毎年開催されている患者会と障害者団体のリーダー達が集まるワークショップ。Ayaは、2005年頃セルフヘルプグループの研究をしていた関係で参加していました。
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=17151 ←「患者の声を医療に生かす」では、患者会のリーダー達が、患者の立場からのリアルな医療をセルフヘルプから政治運動まで語っています。)

(*4)ブラックパンサー/ブラックパンサー党:60~70年代の黒人解放運動を目指した団体。武装して社会革命を標榜した。警察やFBIとの闘争が有名だが、貧困層への食事配給や医療の奉仕なども行っている。
個人的に気になっているのは、党の文化担当相だったエモリー・ダグラス。彼のアートは今でも人気で、展示や本、壁画なんかでよく見かけます。http://www.moca.org/emorydouglas/

(*5)とはいえ、アメリカではこの原稿を書いた去年に比べて”Occupy”という言葉としての力が若干弱くなってきており、前回注で書いた通り、横断型の運動として”Wave of Action”という言葉を見るようになってきています。
*加筆:とはいえ、今年に入って、香港や台湾の若者がOccupy=占拠運動で頑張っていて、まだまだオキュパイは世界レベルで続いています。

(*6)2010年~2011年にかけて、SNSを駆使するといった新しい形の市民運動が世界中で始まりました。アメリカ国内でも、OWS前から各地で様々な運動が始まり、ニューヨークにおいても突然OWSが始まったわけではなく、すでに占拠&デモを試みていたグループがカナダの雑誌Adbustersの呼びかけに応じてデモを企画、その場の勢いで公園占拠が続いていった、という流れです。

ニューヨークのOWSに最も影響を与えたのは800万人近くが参加したスペインの15Mといわれており、同意による意思決定法を採用したジェネラル・アッセンブリー、コミュニティとして料理を振る舞う、といったことが行われていました。15M参加者がOWS準備段階にいて、その手法を採用していったそうです。
(参照:Writers for the 99%, ”Occupying Wall Street” 
日本語訳:http://www.amazon.co.jp/ウォール街を占拠せよ-はじまりの物語-ライターズフォーザー99/dp/4272330780/ref=pd_sxp_grid_pt_0_1)

15Mについて、デモクラシーナウ!のビデオ記事「オキュパイ運動の先駆け スペインのM15運動,占拠運動」

また、OWS前の2月にウィスコンシンで大規模なデモが行われた際、エジプトの活動家がこれに賛同する旨のyoutubeをアップする等、当時、世界各地でオキュパイ的な運動が共鳴し合っていたことが伺えます。
参照:マイケル・ムーア.com
”We Stand With You as You Stood With Us': Statement to Workers of Wisconsin by Kamal Abbas of Egypt's Centre for Trade Unions and Workers Services”
http://www.michaelmoore.com/words/must-read/statement-kamal-abbas



2014年4月16日水曜日

第3回 オキュパイ運動のローカリティ

前回までの記事はこちらからどうぞ:
第1回 オキュパイの現場 


☆諸事情により半年間塩漬けになってしまいましたが、この第3回は2013年9月のインタビュー記事です。
オキュパイって?ジェネラル・アッセンブリーって?と思ったら、第1回を読んでみてください。

Aya: 今日は,917日(2013年)、ズコッティ公園(*1)で開催された、オキュパイ・ウオールストリート(Occupy Wall Street、以下OWS)の集まりである、2周年ジェネラル・アッセンブリー(General Assembly、以下GA)に行ってきたので、それについて話したいです。

           当日の公園内の様子。右側にOccupyとあるのがジェネラル・アッセンブリー。Aya撮影。

Jiro: ズコッティ!そういえば今、あやさんはNYにいますからね。どのくらい来てましてた?

A: 意外に人がいなくて、100はいたけど、200はいなかったです。当日は一日中、いろんなイベントやっていたんですが、夕方からのロビンフッド税のデモ(*2)が数千人と盛り上がり、国連からブライアント公園まで歩いたあと、公園でイベントもやっていたそうで、そっちに人がいったという事情もあり。またその場にいた人によると、2周年GAは、オーガナイズもイマイチ、だったかもしれません。

J: Occupy Wall Street GAのサイトみても、更新が去年で止まってますね。

A: あまりアクティブじゃないのかも。夜9時前くらいから輪になって皆がスピーチし始めて、これがGAだなってわかったんだけど、ジローさんが言っていたとおり、リーダーシップなかったです。なんとなく始まって。でもファシリテートはどうだったのかなあ、そんなに活気はなかったな。

J: ポートランドのGAは今だに場所を変えながら毎週やってますよ。今では毎回の参加者が10人いないくらいのようですが。でも、もしかしてニューヨークよりポートランドの方がアクティブなのかな。

A: うーん、GAに関して言うとネットで見る限りはそうですね。(*3)同じオキュパイと名乗っていても、これって本当にローカルなもので、地域によって全く違うんだな、って思います。

J: そう。地域差といえば、2年前の当時、各都市同士のオキュパイで連携しようしたんですが、だめでしたねー。電話がつながらないんですよ。メールも返って来ないし。

A: む。それってやっぱりオキュパイの組織が緩いからかしら。

J: 理由はいくつかあると思っています。まず、自分の運動で精一杯で、横の連携どころじゃないということ。次に、オキュパイ運動の内側がカオスなので、こういった連絡事が弱い。また、自分の見たところ、運動家には「関係性の筋肉」(*4)が弱い人が多いような気がしています。あとは、ウェブサイトに連絡先を書いた人が途中でいなくなったりポジション変わったり、という事情があると思っています。

A: 全米各地に飛び火したオキュパイですけど、実はとことんローカルなものだったんですね。

J: そう言えるでしょうね。そういえば、ポートランドも2周年に向けて警察が既に公園を柵で囲って封鎖しちゃってますね。今でもアクティブだから警戒してるのかもしれません。

A: え、もう!まだ2週間前なのにね。当日のズコッティ公園も柵で囲まれていて、2箇所ある入り口がちょっと開いているだけ。その周りに大量の警察が立っていて、緊張しました。ただ、私の周りの人たちは、今までで一番警察が大人しいから何もないよ、雰囲気が悪くなってきたら逃げればいいって言っていて、確かに、私が去る10時頃には警察の態度も緩くなっていて。私としては、安全第一なので良かったです。

J: 2周年のGA現場を見て、私の話と違うな、ってことありました?

A: そんなに違わなかったです。
そこまで全体の盛り上がりがなかった分、来ていた人と密に話す機会が持てたんですけど、やっぱり、みんなの話にコミュニティ感覚があるんだな、っていうのが大きいですね。

J: どんな人と話したんですか?

A: オキュパイ初期から食事の配給していた人たちが今回も食事を配っていて、ブースを閉めた頃に話しました。それからネイティブ・アメリカンの運動家(*5)、あとそこまでアクティブじゃなくても当日からフラッと来ていた人とかかな。あ、それと、2年前のオキュパイ・ポートランドで初日からキャンプしててメディアのチームにいたというロースクールの学生に会いましたよ。彼は、警察が理不尽な暴力を行わないか監視する学生ボランティアをしていました。(*6)本当に多様でしたね。

直感的にポートランドと違うと思ったのは、警察がなかなかに威圧的でした。まず8時に着いてすぐ、公園前でパンフレットを配布しているブースの人と話したんですが、彼らの仲間はそのちょっと前に逮捕されたそうです。場所が悪いからと、頭を押さえつけられて。でも、そこから3m離れたところで同じことしてるのは警察的にはokみたいなんです。なんだか理不尽ですよね。
あと入ってすぐ、警察にビビった私が話しかけた女性によると、警察がダメって思ったら逮捕される、そういうものだ、と。私はこういう事情に明るくないので、ショックでした。

J: 警察官は裁判長ではないので、政治的に法律を破る必要があればやりますよ。その上部にある行政側の意向を反映します。つまり、ポートランドの市の警察官の一番上の上司が市長と言えます。(*7)

A: えー!法律破るって。

J: また、good cop bad cop がいるということもありますね。「悪い警察」は、ホームレスみたいに比較的力を持たない人たちにたいして圧力行為を行ったりしますよね。監視の目が働いている市民団体なんかにはそんなに圧力かけない。
あと、警察の中に怒りのコントロール/感情コントロールができない人が一定数いますね。そういう人がやっちゃう可能性もあります。
そういう警察官がいても、悪い事が重なると組織内で警告を受けるなりして排除されていく方向だと思います。

A: でも、街によって警察のカラーって結構違わない?例えばオークランドはかなりキツかったと思うんだけど。

J: イジメ的な手法を使う警察もありますよ。シアトルなんかが有名ですね。
ポートランド警察はそこまでではないです。高度な対話型の訓練を受けている人もいます。警察官の家族を持つ人がオキュパイ内部にいて、警察と話す対話連絡係をしてましたね。

A: ニューヨークは対話型じゃないだろうなー。記録を見ても、手強い印象です。OWSの方は、逮捕された仲間を出す為の保釈金の予算がかなりあったでしょうね。

J: そうですね。橋の上でだまし討ち逮捕700人とかありましたからね。(*8)そういうことはサム・アダムス(当時のポートランド市長)はしなかったですよ。
また警察ネタはしっかり話したいと思いますが。

A: ニューヨークのブルームバーグはなかなか強硬姿勢だったみたいね。あと、ウオールストリートの会社がだいぶ警察にお金を使ったみたいですね。(*9)
警察の出方がこれだけ違うと、運動の有り様もかなり違うものになると想像します。あと、市長の態度。私がズコッティで会ったポートランド出身の学生曰く、「ポートランドの政治家はベストだ」そうで。

J: そうですね。まず、警察は市長のサム・アダムスがやれと言えばやるし、やるなと言えばやりません。そして、サム・アダムスはオキュパイを「表現の自由」、「集会の自由」を守るという姿勢で支持していましたから、警察の態度も他の都市とは違ったんです。
あと、夜12時以降に公園にいるだけで逮捕したら予算の無駄遣いですしね。

政治家全般ということで言うと、90年代の夢( *10 )であるエコロジカルで持続性のあるポートランドを実現してきた政治家達がいますからね。


A: あと、地域差ということでいうと、Occupy Wall
Street初日からフード担当していた黒人のおばちゃんと話したんですが、ニューヨーク市のルールでは、余った食材の提供は禁止されていたそうです。なので、彼女は常にかなりの予算を持っていて、安い食材を求めてチャイナタウンを走り回っていたとか。ニューヨークのOWSはかなり予算が動いている運動だったようですね。

J: 以前お話した通り、ポートランドは、食べ物関係はかなり恵まれてましたね。

A: うん。食事の話題はいつ聞いても想像すると楽しくなる部分です。今でもユニオンスクエアでオキュパイのフード隊の人が食事サービスしている(*11)とのことなので、今度行ってみようと思います。
今回は各地の運動のローカリティについての雑談でしたけど、次回は、共通のところ、オキュパイとは何だったのか、について話したいと思います。ありがとうございました!


注、およびハミダシつぶやき

(*1)Occupy Wall Streetではニューヨーク・マンハッタン南部の金融街、Wall Streetにあるズコッティ公園(別名:リバティ・スクエア)を占拠した。隣接するワン・リバティ・プラザがパブリックスペースとして整備している「民間による運営」の公園。オキュパイ開始時は、ギリギリまでどこを占拠するか決まっていなかったが、ズコッティ公園が夜間もオープンである、排除される可能性が低いといった理由で決められた。
行ってみると意外に小さいものの(3100m2)、高層ビルだらけのウオール・ストリートにおいては貴重な憩いスペース。

(*2)2周年当日は5時からNY国連本部のダグ・ハマーショルド・プラザにて、金融取引を課税する「ロビンフッド税」導入を求める集会及び、ワシントンスクエアパークまでの行進がメインイベントとなった。
当日のアクションスケジュールはこちら。http://occupywallstreet.net/story/events-and-s17

(*3)Occupy Wall Street General Assembly のページ:http://www.nycga.net/ 
相互リンクのある、Occupy Wall Streetのページ http://occupywallstreet.net/
「オキュパイ」運動自体は2012年で一段落し、その後は、オキュパイ前から存在していた、またはオキュパイにインスピレーションを得て始まった各種デモ/運動の情報とそれに伴ったジェネラル・アッセンブリーの情報の掲示板があります。が、OWSとしてのGA(ジェネラル・アッセンブリー)の情報は載らないままです。ポートランドでは今でも「オキュパイ・ポートランド」としてのGAをやっています。
ただし、2014年4月4日、キング牧師の命日に新しく"Wave of Action"という分野横断の運動が全米各都市で始まった模様。ズコッティ公園でもGAが開催されました。どのように展開するかはウオッチしていきたいと思います。
 
(*4)「関係性の筋肉」とは、関係性にまつわるスキルのことで、ファシリテーターであるジローさんならではの言葉です。人間関係において何が起こっているのかが、「見えている人」「見えていない人」がいるという状況をわかりやすくするためにも、筋肉という言葉を使っているそうです。
「ファシリテーター」というお仕事に関しては、第1回をご覧ください。http://occupynimanabu.blogspot.com/2013/08/blog-post_16.html

(*5)「ネイティブ・アメリカン」という言葉が「正しい」と思って使っていましたが、これは実は白人によって作られた言葉であり、当事者によっては、「は?ネイティブアメリカン?誰の事?」と言う事もあるそうです。ジローさんの経験によると、「インディアン」そしてインド人と区別する場合に限り「アメリカン・インディアン」と自分の事をいう人が多いそう。今回の記事では、私が「ネイティブ・アメリカン」と話題に出しても話し相手の運動家の方がそれを直さなかった、ということで「ネイティブ・アメリカン」と書いています。当事者と話すときは、「本人がどう呼ばれたいか」を毎度聞くのがベストですね。実は今後もでてきますが、アメリカン・インディアンの人たちの文化をオキュパイでは参考にしています。

(*6)日本でも、首相官邸前抗議やレイシストのデモに対するカウンター行動において似たようなボランティアの弁護団がいると、現場の方に教えてもらいました。

(*7)日本の場合は、都道府県別で、都知事など首長が警察組織のトップ。
参考:http://www.npa.go.jp/koho1/sikumi.htm (警察庁HP)

(*8)10月1日、平和にブルックリン橋をマーチしていた市民が700人逮捕されるという事件が起こりました。ブルックリン橋のマーチは昔からNYの市民運動の伝統のように行われてきたことであり、そのような平和なマーチに対し、警察は橋を監視するように見せかけて突然前後をブロックして700人一気に逮捕!したわけで、「だまし討ち」事件としてNY警察の悪評を高めました。

(*9)JPモルガン・チェースは、OWS中、460万ドルをNY警察に寄付。ブルックリン橋の700人逮捕がそのニュースの直後だったため、警察とウオールストリートとの癒着が噂されました。ちなみに、あくまでも噂ですが、有名投資家ジョージソロスがOWS(オキュパイ側)に資金提供という噂もあります。

(*10)ポートランドならではのネタ満載で人気のコメディ「Portlandia」では、「90年代の夢」をテーマにした回があります。90年代に夢見ていたことがポートランドではまだ現実にあるんだよ!という話。
https://www.youtube.com/watch?v=AVmq9dq6Nsg

(*11)Occupy Union Square:http://occupyunionsquare.net/ 
このように、オキュパイ運動の参加者はそれぞれが様々な形で今でも活動しています。1つの視点は、昔からの活動家がオキュパイに集まった、もう1つは、オキュパイをきっかけに生まれた活動が今も続く、その結節点のイベントとしてのオキュパイ、という見方もあるのですが、詳しくは次回に!




2014年3月28日金曜日

台湾の太陽花学運についてのsmall talk

前回記事から半年近く経ってしまいました。
諸事情により暫く冬眠していたOccupyに学ぶ!ですが、この春から再開しますので、今後もよろしくお願いします!

今日は番外small talk。台湾で18日夜から学生が立法府を占拠している太陽花(ひまわり)学運に際して、ジローさんと話しました。

(追記)その後、国会議長による譲歩案を引き出したことを一定の成果として、4月10日に学生は議会から退去しました。最後の学生達のお辞儀や掃除のシーンにまた台湾らしさを感じました。詳しくは以下をご覧ください。

東洋経済online記事 台湾学生運動リーダー・林飛帆氏に直撃

http://toyokeizai.net/articles/-/34454
The Huffington Post記事 台湾、立法院占拠学生が退去 馬政権に重い課題
http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/10/taiwan_n_5129920.html#slide=3534354


Aya: 台湾が大変なことになっていますよ。議会オキュパイなんてそうそうないことだし、お隣の国の民主主義の危機でもあるのでフォローしていきたいんですが、ジローさん、今回の学生の立法院(日本でいうところの国会)占拠を見ていてなにかコメントありますか?

Jiro: そうですね、立法院とそして行政院を占拠したってスゴイことですよね。

A: 3月18日以降、学生が立法院を占拠しています。で、排除するには国会で可決しないといけないけど、その国会が占拠されているので難しい、という話や、立法院は民主主義の象徴であるため、占拠している学生の排除は難しいという話を聞きます。

J: まあ、国会を占拠していても、超法規的に排除しようと思えば できちゃうはずなので、それをしていない、ということは、権力側が国家の脅威とまでは見なしていないということでしょうかね。

A: あと、何より国民の支持を得ているという事もありますよね。今回の行動は、非暴力を徹底していて、そして何より占拠している学生さんが優しくて礼儀正しいし、思いが伝わってくるんです。そのあたり、台湾のお国柄がでてるように思って。親の世代が勝ち取った民主主義(台湾は96年まで独裁制)を守りたいという強い意志があるのもわかるし、本当に頑張ってほしいなーと好感度大です。

J: 非暴力であることは国際的な支援に結びつきますよね。さらに礼儀正しさというのは、「高度な不服従」と言えるかもしれません。

A: でも行政院の占拠はすぐ排除されたし、流血画像も出回っていますね。

J: これ、流血というから警察20人くらいがわーっと暴力ふるってるかと思ってましたが、実際に画像を見ると、1人、2人なんですね。これは、組織的に暴力をふるうように命令がでていた、というよりは、イラッときた警官が個人的に暴力ふるったんじゃないでしょうか。

A: なるほど、同じ警察の暴力でも、命令あっての組織的なものか、個人的なものか、で違ってきますね。まあ、こちらとしては同じようにセンセーショナルに受け止めちゃうんだけど。
あと、行政院の方は、学生の運動が暴力的であることを印象づけるために権力側が運動とは別の人たちを送り込んだ、という噂も聞きますが。

J: それは世界中、どこの運動にもあるパターンですよ。権力側が「非暴力のデモ」を「暴力的なデモ」にしようとするんですね。デモ側が暴力をふるったとなれば、当局の暴力的手段をエスカレートしても国内、国際世論の支持を得られやすいですし。
これを防ぐためには、運動内で関係性やコミュニティの構築が大事です。運動の中で「知ってる人」「知らない人」が区別できるようになること。

ただ、アナーキストは口の周りをスカーフで覆っているし、オキュパイなんかでもマスクつけたりしますよね、あれは当局側に使われやすいんですね。


A: 誰だかわからないものね。

J: だから、警察がいないときはマスクを外すなどのエチケットが必要となってきますね。
あと、権力側による暴力とメディアというところで、「バックアップ・カメラマン」というのがあります。

A: それは何ですか?

J: 権力側が暴力をふるっている内容の映像が広まると支持者/デモ隊が増えますよね。それを権力側はわかっているので、まず、デモの前線にいるカメラマン達を排除する、またはカメラを取り上げようとします。で、その行為自体、暴力的にならざるを得ないんですが、そこを撮影するのがバックアップ・カメラマンです。
「メディアをターゲットに暴力をふるった」となると知識層の支持がアップする効果がありますね。
で、可能であれば、さらにそのカメラマン達をバックアップするカメラマンがいて、3人で1組の撮影隊だと理想的だと思います。
これは、高度な技術、情報戦のテクニックというところですが。

A: これは今後、オキュパイ関係で深めて行きたいテーマですが、今回の台湾の学生運動は、とりあえず急遽始めたという状況ですよね。

J: はい、見ていると運動としては洗練されているわけではないですね。オキュパイは60~70代の反戦運動家達、市民運動歴40年、50年という人たちも参加していて、彼らの話が聞けたというのが大きかったりします。

A: ところで、ひまわり学運を応援したい私は何をしたらいいかしら。情報を伝えて行くこと、くらいしか思いつかないのだけど。

J: Think globally, act locallyの原則を大切にしたいです。

A: そういえば、フランスで台湾を支持するデモがあったという写真を見ました。最新情報では30日に世界各国で台湾留学生を中心にデモがあるようですね。あと署名を働きかけている団体もあるし、支持している、という意思表示はしたいですね。

J: でも話を戻すと、抑圧されている側にとっては、情報の共有が最大の武器ですよ。一般に流布しているのは、多数側がコントロールしている情報ですし。
少数側に長くいると、真実に直面するのが上手になっていきます。

A: 台湾の学生さん、すぐにスライドを何カ国語にも訳してばらまいたよね。

J: あとは、台湾の権力側の情報収集をする、相手側を知る、というのもとても大事です。
抑圧する側の論理を知っておくのは、持続可能な運動には必要なことだと思います。

今、台湾の状況がどうなっているのか、多角的に見ようとすることで、自分のメディア・リテラシーを上げることができるんじゃないでしょうか。


A: そうですね、何故、マスコミの扱いが小さいのか、台湾の置かれている立場、日本との関係、いろいろ考える事はありまますね。今後も見守って行きたいですね。

当時の詳細情報はこちらからどうぞ。
台湾学生による今回の行動についてのスライド
http://www.slideshare.net/noexcuse/ss-32581194
現地からのルポ、オキュパイな雰囲気が伝わってきます。(8bitnews)
台湾滞在中の佐藤学先生からの速報(内田樹のブログ:佐藤学先生の台湾情報第三報から)
佐藤学先生の台湾速報その1
http://togetter.com/li/646735
The Huffington Post記事 台湾立法院を占拠する理由とは 若い女性が日本語でメッセージ【動画】
占拠に関するnaverまとめ


*次回、数ヶ月塩漬けになってしまっていた、オキュパイ2周年についての記事も近日中にアップ予定です。





2013年8月25日日曜日

第2回 公園占拠48時間


前回記事:第1回 オキュパイの現場 へはこちらからどうぞ。


A: 前回以降、ジローさんとスカイプで色々と話してきましたが。

J: はい。

A: それこそ話がカオス&深いというか、様々な話題が登場しすぎて、第2回にどう進むべきか悩んじゃったんですが、まずはオキュパイ初期の現場の様子を聞いていこうと思います。

J: 了解です。熱狂の初日から、そろそろ寝ようぜ、って言い始める3日目まであたりについて話しましょうか。初期と中期、後期ではだいぶ雰囲気も違うものになっていきますし。

A: 本当に寝なかったんですか。

J: もうお祭り感覚でね、「新しい世界を作るんだ!」ってハイになってるわけですよ。寄付の物品や食料はばんばん届くし、公園をテントがどんどん埋めていってね。開始後48時間くらいは、そんなに寝てない人が多いですよね。
バーンアウトが心配になった私は3日目過ぎたあたりから、「食べてる?」「寝てる?」っていう声かけをするようにしました。

A: うーん、声かけするほどとは。では、その熱気の中、何が起こったか聞かせてください。

J: はい。10月6日の1万人のデモ(*1)の最終地点がポートランド市庁舎前の公園で、そこに到着直後から、キャンプの設営が開始されました。

A: 占拠開始!ですね。

J: テント設営とともに、ニューヨークのOccupy Wall Streetにインスパイアされた各人が思い思いに活動を始めました。
まずは、コアとなるインフォメーションのテントができました。ここでは寄付も受け付けていました。

そして、フードのブース。大きなキャンピング・キッチンみたいなもので、洗い場もちゃんとありました。
材料に加えて鍋やコンロもどんどん届いたり、持って来たりで。
始めの3日間は24時間態勢で作り続けていましたが、さすがに3日目ぐらいからは1日3食にしよう、とか、夜は休もうとか言うようになりました。

A: 24時間態勢!一体、何人分くらい作っていたんですか?

J: うーん、ざっくり言うと数百食/回くらいかな。一日単位だと1000食は作ってましたね。ちゃんと食料倉庫もあって、食事の合間のスナックも用意されていました。

A: もうそれ聞いただけで、どんだけのお祭りかって思っちゃいますけど。どういう人がそこで働いていたんでしょう?

J: ずっと鍋の前に張り付いているコアなメンバー(*2)もいれば、フラッと来て手伝えることをする人まで、あらゆるレベルでの参加があったと思います。

A: そこはオキュパイな参加の仕方ですね。衛生面は大丈夫でした?

J: はい。衛生手袋をしたり、努力してそれなりに保っていましたね。

あと、初日にできたものといえば、「持っていってくださいテント」。アメリカだと必要なくなった服の寄付を集めているセンターが街中にあるじゃないですか。それを持って来て、「靴下濡れていたら、ここから乾いた靴下持って行ってね」とか、ちょっと匂う人がいたら新しい服を配給したり、そういう事していましたね。

まあ、そういう風にお祭り感覚で、レインボーギャザリングやオレゴンカントリーフェア、バーニングマン(*3)を全部ひっくるめた感じでしたよ。


A: 実際、そういうコミュニティ系フェスティバルで養って来た技術とかツールも大活躍ですよね。そういった事に慣れてるように聞こえます。
ジローさんが参加していたセキュリティ・チームはどうでした?

J: 私がセキュリティ・チームと行動を共にするようになったのは4日目以降なので初日はどうだったかわからないです。
ファシリテーション・チームは1日目からありましたよ。コアなメンバーが3、4人に、プラス5人くらいが関わっていたかな。

A: なるほど。ファシリテートする事が初日からあったんですね。

J: はい。そこらじゅうで。また、初期は1日に10個ほど、いろいろな種類のミーティングがライブラリーと呼ばれる場所で行われていました。公園内を「~の話し合いしますよー」と言って回ったり、看板立てたりして周知して。

A: ライブラリーってことは図書館?それがテント内にあったの?

J: はい。初日私はAちゃんに出会ったんですけど、彼女は「私、ライブラリー作る!」って言い出して、その日のうちに作っちゃったんですね。板とか椅子とか組み合わせて。
本もどんどん届いたし、ミーテイングスペースも2つほど作って。

A: 本格的!なんか村みたい。運動初日に図書館、というのは重要な気がしています。なんというか、知の集積がネットじゃなくてその場にあるのが。やはりオキュパイは、「コミュニティビルディング」っていうところがキーなのかしら。
ジローさんは何か参加してました?

J: まずですね、初日の深夜1時くらいかな。ポートランド大学の経済学の教授のティーチ・イン(勉強会)に参加しました。参加者は15人くらい。

A: それは何についての勉強会ですか?

J: 「経済的な視点から見たOccupy Wall Streetの背景」です。デリバティブとかフォークロージャーとか、債券評価会社とか。(*4)
オキュパイでは、政治的な運動だけじゃなくて、知的な勉強会も行われていた、というのは、強調したいと思います。

A: しかも初日から、というのはポイントですね。

J: はい。あと、2日目には、メディア・リテラシーの勉強会もしましたね。これって非常に重要というか、欠かせないと思うんですよ。例えば、メディアの写真やビデオにどうやって写るかって、大きな力になるんですね。
3日目以降もいろいろと。ファシリテーターとしても参加しましたよ。

A: 細かく聞くだけの紙面は今回はないんですが、でも、メディア・リテラシーについては、重要なのでまた次回以降、きちんと聞こうと思います。
あと、誰が出入りしてたか、っていう所で、メディアや警察はどうしていました?

J: 警察は公園の外から結構な数が見守ってましたね。オキュパイ中盤には2人くらいしか見かけない時もあったけど、やはり開始以降しばらくは公園の中もそれなりに歩いていました。オキュパイ側も警察側も初めての事態に慣れない感じがありましたね。普段の警察の業務とは全然違いますしね。

A: 彼らは何もしなかったんですか?

J: (プロテストとしての/政治的な)「表現の自由を守る」のも公務員(警察)の義務なのでね、何もしませんでした。翌日以降、オキュパイ側は市長側と公園に居続けるための交渉に入り、結果としては1ヶ月以上続くわけですが。

メディアは、初日から3日くらいは、毎日3、4回は来て現場をリポートし続けてました。


A: マスコミから地元紙まで?街の話題がオキュパイ一色、という感じでしょうか。好意的な扱いでしたか?

J: そうですね。結構ニュースになってたと思います。もちろん好意的かどうかはメディアによりけりです。
報道を見て現場に来た市民も大量にいます。

A: オキュパイしに?

J: そういう人たちもかなりいたし、ただ見に来る人も。
あとは、寄付に来てくれる人達。例えば、食関係、レストランやカフェやスーパーの人たちは、営業後にまだ食べれる残った食料を食材やお弁当にして持って来てくれました。
また、当初から、必要なモノは、ツイッターやウェブサイトで発信し続けていましたね。まあ、実際にそれが届くかはその時々って感じで。

A: 実際にオキュパイしてなくても、それぞれのやり方で参加していたんですね。

J: はい。これはかなりの人数ですよね。
様々なレベルで、自分にできることでサポートしたい!という気持ちが強い人が多かった
実は長期的には、テントで寝泊まりしてない人の方が若干、貢献が大きかったんじゃないかな、と思います。というのも、テント生活は疲れちゃうという事情もあり。

こうした市民のサポートは、最後、オキュパイ運動がメディアにネガティブキャンペーン張られるまで続きました。

A: むむ、ネガティブキャンペーンとは気になる話ですね。

J: ホームレス、政治的に正しく言うとハウスレス、それから路上に近い人もそれなりにいましたし、ネガティブな報道が中盤以降だんだんに増えていったんです。
例えば、オキュパイ周辺の犯罪率が上がった、という警察の発表とかね。
ただ、それに対して、オキュパイ側は彼らが元々いた橋の下周辺の犯罪率は下がってる、とか、街全体の犯罪率は下がってる、と反論するわけですが。

A: オキュパイでホームレスの人の犯罪の問題や安全性の低下、というのは、よく聞く話ですよね。まあ、それだけの人がキャンピングしてたら、色々問題も出てきますよね。Occupy Wall Streetの記事でも、近隣住民がはじめはサポートしていたものの、路上に排便(!)排尿、もうたまらない!って怒るシーンが出てきて、マナーも徹底はできないよなーって思いました。

J: はい。私自身の感覚としても、現場に出入りし続けて行って、安全に対する感覚には変化がありまして。例えばホームレスの人へのサポートや問題も1つの大きなテーマですよね。これはまた話したいと思いますが。

A: そうですね。また次回以降、お願いします。
最後に、初日といえば、オキュパイ運動の要であるジェネラル・アッセンブリー(General Assembly 、以下GA)は、かなり盛り上がったと思うんですが。

J: はい。盛り上がってましたよー。

A: GAはニューヨークのOccupy Wall Streetから持ってきたアイデアですよね。でも集まりの際、リーダー的な存在の人はいたんですか。

J: いや、リーダーということはないです。「たくさんのリーダーがいた」という言い方もできるでしょうか。オキュパイでは、「わたしがやるー!」で全ての物事がスタートしますから。GAのファシリテートもそんな感じですね。
準備会をやってきていたので、そのコアメンバーが、というところはありますが。これも移り変わっていって。

A: なるほど。そうですよね。オキュパイはフラットな運動なので、リーダー、じゃないよね。この話はかなりコアになっていく気がしてきましたが、もうだいぶ話したし、GAについては、次回のテーマにしたいと思います。

J: そうですね。時間軸で言うと、GAの移り変わりがオキュパイ=公園占拠の流れの変化と重なるわけで、この辺りはきちんと話したいですね。

A: 次回以降もよろしくお願いします。ありがとうございました。


注、および、ハミダシつぶやき

(*1)1万人も参加して、なんと逮捕者が1人もでなかった!そうです。そのデモ技術など気になる所ではありますが、このデモについては、また回を設けたいと思います。

(*2)キッチンで主に活躍していたのはfood not bombのグループとのこと。Food Not Bombは80年代に反核運動の1つとして始まった食の草の根の運動で、今では全米及び世界中でグループがあります。現代社会の問題に対し、暴力ではなく食で対抗しようという発想が名前の由来。形が悪い、賞味期限が近い、等の理由でスーパーに出せない食材を使ったヴェジタリアン料理を公園で振る舞う活動をしており、ポートランドFood Not Bomb のミッションには「ハイエラルキーや暴力を除外し、共に創造的に働くことで、より強く健康的なコミュニティを打ち立て、地球上の全ての人と分かち合う」とあります。

(*3)これらの野外フェスには、カウンターカルチャーから出てきた、商業主義を排し、自然の中で環境に配慮した集団生活を送りオルタナティブな生き方を模索、医療などのインフラを含めたコミュニティ運営を意識的にしている、といった共通点があります。以下、簡単に説明をば。

*オレゴンカントリーフェア Oregon Country Fair:1969年にオレゴン・ユージーンで子供のオルタナティブスクールの資金集めのためにクラフトフェアを開いて以来毎年続く、家族向けの野外フェス。当時のヒッピーカルチャーともつながりが深い。
*レインボーギャザリング Rainbow Gathering:1971年にコロラドでの集団キャンプから始まった運動。今では毎年世界レベル、アメリカ各地で数万人規模の集まりとなっているが、コミュニティイベントとして小規模なものも各地で行われている。ネイティブアメリカンの思想を取り入れ、平和の分かち合い、自然環境との融和などを挙げており、コミュニティ運営もそれに沿って設計されている。
*バーニングマン Burning Man:1981年以来毎年カリフォルニアで行われる大規模な集まりであり、外界と遮断された塩類平原の真ん中で参加者一人一人の自立と自己責任のもと共同生活を1週間続ける「コミュニティ実験」。ちょうどこの回がアップされる8月最終週に開催している。過酷な環境下において生活するためのインフラから放送局まで、全てがボランティアで作り上げられており、一週間だけ砂漠に街ができるが、開催後は痕跡を残さない努力が行われている。アーティストの参加が多く、各自持ち寄ったアート・インスタレーションやパフォーマンスを繰り広げることでも知られる。私の周りでも、インタラクティブアート作品をトラックに乗せてNYから向かったダンサーや、SFのヨガコミュニティの人、とにかく楽しいことがしたい若者、なんかが向かっています。

(*4)規制緩和により行き過ぎた金融資本主義は、2008年のリーマン・ショックをきっかけにクラッシュ。この金融危機以降、アメリカでは沢山の人が職を失い、家を失ってきました。人々の暮らしとかけ離れた所でリスクの高い金融商品(デリバティブなど)が売買される事から生まれる超富裕層と、マネーゲームによる不況を被り、失職した人たち(主に若者)、不公平なシステム(フォークロージャー、いわゆる差し押さえ)により家を失った人たちや、そうでなくても教育費や医療費等の負担増に苦しむ中間層の間の溝は深まるばかりで、そういった状況が「ウオール街を占拠せよ=Occupy Wall Street」の背景となっています。ちなみに富裕層への税率の低さや富の集中は、80年代から進んでいました。









2013年8月16日金曜日

第1回 オキュパイの現場

Aya: ジローさんはいつからオキュパイに関わっているのですか?始めから?

Jiro: そうですね。Occupy Wall Streetがニューヨークで始まったのが2011年9月17日、その後Occupy Portland(以下「オキュパイ」)が10月6日に始まりましたが、1万人程(*1)が参加したデモの後の公園占拠を見に行ったのが最初です。オキュパイの準備会は数百人単位で行われていましたが、そちらはyoutubeで見るのみでした。

ちょうどその頃、自分は学校(プロセスワーク研究所、紛争ファシリーテーション及び組織変革・修士課程)の卒業試験が迫っていて、オキュパイが自分のファシリテーション能力を磨く、いい学びの機会になるかと思ったんですね。


A: つまり、現場でプロテストしてたわけではない?

J: 全くしなかったわけでもないんですが、主に紛争解決ファシリテーター/組織変革ファシリテーターとして現場に通っていました。1%側のことも常に考えていましたよ。

A: ちょっと聞き慣れない言葉ですが、紛争解決ファシリテーターとは?

J: えっとですね、ファシリテーターって日本だとリーダー、引っ張って行く人、といった役割も含んで使われることが多いみたいですが、そうではなく、ファシリテーターはリーダーとはまた違う仕事です(*2)。一言でいうと、紛争やトラブルの解決がスムーズに進むように介入する人、です。

でも、自分の中では葛藤があったんですよ。というのも、自分はかってシステムエンジニアとして、金融システムの構築に関わってたことがあったんです。まあ、Wall Streetが身近だった。でも、それとは別に、自分の中ではOccupy運動側を理解する気持ちもありまして。そういう相反する気持ちがありました。
さらに、ファシリテーターって中立的じゃないとできないんですよ。その為にも、自分の視点や立場のバイアスに自覚的じゃないといけないし、常にそのバイアスを皆にも話しておきます。


A: あ、そういえば、医療事故のメディエーター(事故が起こってすぐに、被害者と加害者の間に入って調停を行う人)は病院の立場でも患者側の立場でもだめで、紛争解決の専門として中立の立場の人間がやるべき、っていう話がありますね。なかなか、実現は難しいんですけど。
アメリカはそういう立場性、専門家の倫理が非常に厳密という印象ですね。それに比べると日本はちょっと、なあなあな気がします。

J: そうじゃないと機能しませんからね。

A: 具体的にはどんな事をしていたんですか?

J: 主に自分はセーフティ・チーム(Safety Team)にいました。
市長とオキュパイ側の連絡の為のチームにも少し参加していました。

A: おお、市長ですか。

J: はい。サム・アダムス市長(当時。現在はチャーリー・ヘイルズが市長)はソーシャルメディアが好きなんですよね。で、市長と携帯のテキストメッセージでやり取りをする人がオキュパイ側に1、2名いました。さらにその市長のテキスト情報をどうやって扱うか検討するチームが5名程度で構成されていました。

でもまずはオキュパイの現場がどんなだったか、説明した方がいいかな。
一言でいうなら、カオス、でした。有機的にオーガナイズされたカオス。


A: というと?

J: 警察も含めて常に新しい人が出入りしていて、何が外部/内部かわからない。
あと、これはオキュパイの特徴かもしれませんが、アナーキストから左翼、右からティーパーティまで、そして退役軍人、あらゆるバックグラウンドの人が混じっていました

A: あ、そういえば、ポートランドのアナーキスト・カフェ行った事あります。サラダが美味しいからって行ったんだけど、未だにアナーキズム(無政府主義)本気の人たちが普通にいるっていうのにビックリした。さらに、普通にカフェ運営しているところも。こういう多様性ってポートランドならでは、っていう気もするなあ。

J: Red and BlackっていうWorker owned(*3)のカフェですね。赤は共産主義、黒はアナーキズムの色です。まあ、別にポートランドでアナーキズムがポピュラーというわけではないんですが、でも他の地域に比べれば、自主独立の空気は強い土地柄ですね。オレゴン州の憲法の第一条、第一項では、フランスの革命権みたいに、「市民は政府を倒す権利がある」と書かれています。(*4)ていうか、これ、abolishという英語だから倒すっていうより破壊する権利、って言っちゃっていいのかな。(アメリカでは州独自の憲法と、連邦政府憲法がある。)言ってしまえば、アナーキストと市民運動って、ある程度は、同じ方向を向いているということはありますね。

A: 確かに。既存のシステムに変更を求めるという点では

J: 余談ですが、アナーキストがやってるだけあって、貧乏人には使い勝手いいです。無料で使えるコンピューターが2台もあるカフェなんて、他にはないですねー。

A: おお、それはいいね。味も雰囲気もよかった記憶があります。
で、話を戻すと、オキュパイしてるのは99%なんだから、そりゃ、あらゆる人がいるはずですよね。

J: そうですね。裁判所と牢屋の前で占拠してたから、そこから出て来た人たちがそのまま参加もしていましたよ。あと、資産家の令嬢なんかもいました。1%側の子弟も実は結構いたんです。リードカレッジという超エリート校の生徒もかなり来ていました。弁護士もいたし、ポートランド大学の教授がティーチ・インしている場面も見られました。

A: へえ、面白い。このインタビューシリーズを始めるキッカケもそうだけど、オキュパイってメディアで報道されてた姿と現実が大分違いそうな気がするんです。そういうカオスな部分ってあんまり知らなかったし。

J: まあ、それはマスコミが成功した、ってことなんでしょうね。
ぶっちゃけカオスだから取材しても、彼らが何やってるか非常に分かりにくい。だから、メディア側の「こういう風に見せよう」というフレームが強くなってしまう、というのはオキュパイの特徴です。まあ、メディアからしたら、スポンサーのことを考えざるを得ない部分があるわけで

A: なるほど。まあ、どんな運動でもそういう事情はあるかもね。
だからこそ、今からでもオキュパイを個人レベルで振り返る、って大事かな、と。
それではもうちょっと具体的に、オキュパイの現場について教えてもらえますか?

J: 実際に市庁舎前の公園の占拠は1113日まで。その日の深夜に警察機動隊がテントを公園から撤去してフェンスをはりました。
でも、オキュパイ運動はデモ、集会、ミーティングといった形でこの後も続きます。規模はそれぞれ大小あります。公園占拠時は24時間営業でしたが、それ以降は、教会に事務所を借りて夜は閉める形で運営していました。オキュパイのウェブサイト(occupyportland.org)を更新をしているのは今でもこのグループです。

A: グループというと?

J: 先ほどカオスと言った通り、多様なグループが入り交じっての公園占拠だったんですよ。だから、Occupy Portlandとしての意思決定の場の運営はとても難しかったです。チャレンジングでしたが、それなりのガバナンスがありましたし、ある程度は成功したと思います。

A: なるほど、運動の意思決定は重要な話題になると思うので、次回以降にまた詳しく聞かせてください。
それでジローさんは、運動にどれくらい関わっていたんですか?

J: はい。公園占拠時は、夜の8~9時くらいから深夜1~2時まで、週4、5日は現場に通っていました。でも、1113日の撤去が近くなると逮捕の可能性が高くなってきたので、通りすがりの人として見るくらいですね。

A: それまでは逮捕の可能性は低かったんですか?

J: たぶん市長の計らいだと思うんですが、始めのうちは、何時間もかけて、複数回警告を繰り返した上で、「それでも逮捕されたいんですか?いいんですか?なら逮捕しちゃいますよ!」といった感じで逮捕していました。

A: プロテストにおける表現の自由が守られていたってことですね。

J: でも後半、11月以降は、警告なしで逮捕が行われるようになってしまいましたが。

A: 警告を繰り返すとは?

J: 「ここから立ち退かないと逮捕しますよ」を何回も言うんです。それでも市民的不服従をしたい人、数人から十数人ですが、そういう人たちはまだ頑張るわけです。そうして最終的には逮捕されるんですが、結果としては逮捕されるとメディアに載るという効果もあったりします。

A: 市民的不服従について教えてください。

J: より大きな大義のために、法律/規制のルールを破って逮捕の危険に曝されながらも、非暴力手段を通じて抗議活動をすることです。イギリスにプロテストしたボストン茶会事件(1773年)から始まり、アメリカの歴史そのものみたいなものと言ってもいいんじゃないでしょうか。世界的にはマハトマ・ガンジーとか、ネルソン・マンデラ、ベトナム反戦とか有名ですよね。

A: そうやって逮捕された人って、すぐに釈放されるんですか?

J: 数時間から24時間以内には釈放されます。逮捕の話題はちょっと複雑なので、また次回以降詳しく話したいと思います。

A: 了解です。もうちょっと、現場について聞かせてください。
当時、占拠はホームレスがいたから成り立ってた、と聞いていましたが実際はどうでしたか?

J: 私の感覚では、ホームレスがいたからこそ、というのは違うと思います。

A: でも、仕事にいったりしてる間に占拠を頑張る人が必要では?

J: 失業者がいるでしょ。

A: あ。そうか。大量のレイオフもきっかけの1つですものね。

J: あと、先ほども言ったように、あらゆる種類の人がいました。
現場がどういう感じだったかというと、まあ、始めの12日はみんな興奮して寝れない状況で。
24時間ご飯が提供されていたんですよ。
食料提供は、コープとかオーガニックスーパーとか、コミュニティ系のスーパーが賞味期限が近いといった理由等で店頭に出せない商品を提供していました。

A: オーガニックのお弁当って買うと高いから、いいですね、その状況。

J: はい、ある意味パラダイスというか。寝袋やテントは持参する人がほとんどでしたが、寄付もありました。
まあ、野外キャンプがそのまんま、というか、ドネーション(寄付)で作られた野外フェス、というか。
とにかく、お金からモノから寄付がたくさん集まっていました

A: 私は3ヶ月住んだことがあるだけですけど、もともとポートランドってそういう土地柄かもしれませんね。ホームレスへの支援、地産地消、エコロジー、地域通貨、オルタナティブな教育や生活のためのコミュニティ、そういったこと事への試みが差別されることなく行われていると思う。(*5)

J:そうですね。エコロジカルな都市計画はポートランドが全米一なんですよ。(*6)もともと、ウオールストリート的な価値観とは違う、持続可能なライフスタイルを実践して来た人たちがたくさんいる街なんです。

A: そこがポートランドの魅力ですよね。オキュパイは、私が住んでいたベイエリアのオークランドでも激しかったけど、それと比べると、ジローさんから話を聞いていた影響もあるけど、平和にコミュニティレベルで進めようという印象です。
運動を進める事がコミュニティ作りにもなる、そういう側面についても今後聞いていきたいです。

J: そうなんです。みんなのオキュパイ体験のコアに、コミュニティ作りがまさにあったと私は思っているんですよ。もともとあったコミュニティ作りのツールも大活用されましたし。

A: おお。それはまたエキサイティングな話になりそう。楽しみです。とりあえず、初回はここまで。ありがとうございました。


注、および、ハミダシつぶやき


(*1)ジローさん自身を含め現場で数えた人によると、800012000人という数字がでたそうです。マスコミも8000程度で報道していたので、1万はかなり現実に近い数字ではないか、とのこと。ちなみに、ポートランド市の人口は約60万人。

(*2)Facilitate=〔物・事が仕事などを〕楽[容易]にする、手助けする、促進する [英辞郎より]
アメリカで生活していると、集まりや会議で、リーダーとは別にファシリテートする人を決めて、「こういう風に話し合いましょう。」と介入しながら進めて行くことも多く、そのやり方が、日本から来ている私には新鮮です。そうしないと、皆勝手な事を口々に言い始めるわけで、それは空気を読みながら話す日本とは違いますよね。逆に日本では一人一人が自分でファシリテートしちゃって、というかしすぎちゃって、「率直な自分の意見を引き出すのが良いファシリテーション」とのこと。

(*3)Worker owned:雇う側と雇われる側に分かれておらず、全員が労働者感覚で運営されているビジネスのこと。
私がいたサンフランシスコでも、オーガニック系スーパーなどWorker owned!を掲げたお店を何件かみかけました。日本では意識したことがなかったものの、ワーカーズ・コレクティブ、ワーカーズ・コープ(労働者協同組合)が意味として近いです。ジローさんによると、そこまで流行っているわけでもなく、レアといっていいくらい。

(*4)原文は、they have at all times a right to alter, reform, or abolish the government in such manner as they may think proper (人々が適切と思うやり方で政府を変えたり無効にしたりする権利を常に持つ)です。abolishは無効にする、破壊するといった意味。
参考HP:http://www.leg.state.or.us/orcons/orcons.html


(*5)ここで、私の偏ったポートランドの印象をもう少し。表現の自由を守る姿勢が 強いエピソードとして、全裸でも逮捕されません。サンフランシスコも全裸コミュニティがしっかりあるようですが、2012年に全裸が違法になってしまったので、全裸愛好家はオレゴン州へ移住するかもしれない。
また、LGBTへの理解が深く、ローカルマガジン恒例のセックス調査で、性別欄が5項目あったのには、ちょっと感動。(男、女、男女、女男、まだわからない)
本稿にもでてくるサム・アダムス前市長は、アメリカの(ある程度の大きさの)都市で初めてゲイであることを公表して市長に選ばれています。
また、ホームレスの話題としては、ポートランドの支援が厚いからと、近隣の都市ではポートランドまでの交通費をホームレスに渡して追い出している、なんていう(かなり確度の高い)噂もあるそうです。

(*6)ポートランドは2008年にPopular Science誌により「全米一グリーンな街」に選ばれています。世界的には、レイキャビクに次いで2位に選ばれたことも。
ポートランドを含む「METRO=ポートランド都市圏広域地方政府」は、全米で唯一、公選制(直接選挙)の首長と議会、さらに独自の憲章を持つ共同体であり、都市の成長と周囲の自然環境の保全のバランスを取りながら周辺地域を管理しています。
参考HP: ポートランド・メトロの発展と広域計画(村上威夫)http://reocities.com/NapaValley/7711/portland/chikai.html



ようこそ!

Occupy Wall Street からもう2年近く。運動自体はまだ細々と続いているとはいえ、この2年弱の間、バランスを欠いた金融資本主義は幅を利かせ、貧富の差は広がる一方の状況が続いています。
日本のことを考えると、2年前の震災以降、原発と放射能汚染が国民全員の切実な問題となり、さらに、戦後の社会システムのほころびがボロボロと見えるようになってきました。そこへ自民党による憲法改悪(と言ってしまいます)の動きなど、一人一人が状況を良くして行くために立ち上がらないといけない、そんな気持ちを私たちは持つようになってきたのではないでしょうか。実際に脱原発の運動を始め、震災前とは違った雰囲気の市民運動が広がってきているように思います。

オキュパイ当時、それは2011年の秋でしたが、私はちょうど東京からサンフランシスコに引っ越したばかりで、困った事があるとポートランド在住のジローさんに電話で泣きついていました。電話に出たジローさんは、「あ、今、オキュパイに来ていてね。現場見ますか?」ってカメラオンで案内してくれたり、最新のオキュパイなネタを話してくれたりして、その内容の新鮮さ、市民運動の最新形に、遠くながら興奮したのを憶えています。

そんな興奮を、昨今の政治状況を見る中で、フと思い出した!
そういえば、うっかり忘れかけていたけど、オキュパイで得たものって大きいんじゃないか。アメリカの市民運動の歴史は厚く、その積み重ねて来た知恵と行動力を結集してるのだから、そこから学ぶ事は沢山あるはず。そう思った私はジローさんと一緒に、このインタビューシリーズを立ち上げることにしました。

ジローさんは、紛争解決ファシリテーター。トラブルの平和的解決をサポートするスペシャリストです。このインタビューシリーズは、そんな彼から見たポートランドのオキュパイ運動です。非常にパーソナルでローカルな話ではありますが、だからこそ、新しい市民運動の可能性、具体的な行動や思考のためのツールが見えてくれば、と思っています。
単に読み物としても面白い、はず。これを目にしたあなたが楽しんでくれたら、また、身近なこと、社会的なこと、いろいろなレベルで考えるヒントがあるな、と思ってくれたら嬉しいです。


2013年8月 千種あや